中頭方(読み)なかがみほう

日本歴史地名大系 「中頭方」の解説

中頭方
なかがみほう

近世から明治一二年(一八七九)までの行政区画。仲頭方とも記される。順治一七年(一六六〇)四代官制の一つとして中頭方代官が設置された(「球陽」尚敬王一六年条)。「琉球国由来記」によれば中頭方代官は主取一員・筆者四員で構成され、西原にしばる浦添うらしー宜野湾じのーん中城なかぐしく北谷ちやたん読谷山ゆんたんじや越来ぐいーく美里んざとう具志川ぐしちやー勝連かつちん与那城ゆなぐしくの一一間切を管轄した。雍正六年(一七二八)の代官制廃止により取納奉行制へ移行し、取納奉行中頭方の管轄となった。なお古琉球の七代官制にあっては、西原間切を首里代官、浦添中城北谷の各間切を浦添代官、越来・読谷山・具志川勝連の各間切を越来代官が管轄した(「球陽」前掲条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報