読谷山間切(読み)ゆんたんじやまぎり

日本歴史地名大系 「読谷山間切」の解説

読谷山間切
ゆんたんじやまぎり

沖縄島の中部西側、現読谷村にあたる。中頭方に属する。南は北谷ちやたん間切、東は越来ぐいーく間切、北東恩納うんな間切に接する。ユンタンジャとよばれる。里積記によれば首里から喜名ちなー村に置かれた間切番所までの距離は五里四合九勺八才(五里一七町余)西海道がほぼ南北に通る。「琉球国旧記」には「読谷山郡」とみえ、また「球陽」などに読谷山県ともある。「中山世譜」の首巻三府五州三十五郡の項の康熙年間(一六六二―一七二二)に分れた中頭中山府の一一郡中に「読谷山」とみえ、それ以前の八郡にも読谷山は含まれていた。「おもろさうし」巻一五の六五に「一 よんたむさ おわる(読谷山におわす)/おもいまたちよもい(思い真タチ思いが)/けらへ世ほこり ちよわちへ(立派な世誇り殿に来られて)/又 さきよたに おわる(崎枝におわす)」とみえる。「たち」は明国に初めて使者として赴いたと伝える察度の弟泰期のことで、前後の「おもい」は敬称である。「世ほこり」は後の首里城にもあった建物の名。同書巻一三の一五九には「大にし」「さきよた」がみえ、「さきよた」は残波ざんぱ岬のこととされる。「大にし」は首里から遠い北の意で、原注では「読谷山の事」とあって中山の北端の意とされており三山統一以前からの呼び方である。「南島風土記」の中頭郡の項には同郡は読谷山を中心とする部分、中城なかぐしくを中心とする部分、首里を中心にする部分の三つに分け、古名では読谷山を大北おおにし中城中北なかにしと唱え、首里北境の北原にしはら(西原)に至る北山に対する防御線と説明している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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