中野陣屋跡(読み)なかのじんやあと

日本歴史地名大系 「中野陣屋跡」の解説

中野陣屋跡
なかのじんやあと

[現在地名]中野市大字中野

中町の字旧庁跡きゆうちようあとにある。

南信濃飯島いいじま陣屋とともに北信濃における幕府領を支配した有力な陣屋のあった所である。明治元年(一八六八)に伊那県と並んで中野県庁が設けられた。なか町よりひがし町にわたり、陣屋当時は総坪五八ヘクタール、県庁当時更に二〇ヘクタール拡張された。明治三年一二月の騒動で建物は全焼した。遺構としては石垣・井戸・旧稲荷社跡がある。県史跡。

明治元年八月、伊那県庁は上伊那郡飯島(現駒ヶ根市)旧陣屋跡に置かれた。その管下は信濃・三河にわたり、出張所は中野・中之条なかのじよう御影みかげ塩尻しおじり足助あすけ(三河)の五ヵ所に置かれ、創業県政の所務ははなはだしく停滞した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android