中田新田(読み)なかだしんでん

日本歴史地名大系 「中田新田」の解説

中田新田
なかだしんでん

[現在地名]与板町中田

くろ川左岸に位置し、黒川と信濃川の沖積低地に立地。東は吉津よしづ村・広野ひろの村、西は槙原まきはら村・山沢やまざわ村、北はなか村、南は瓜生うりゆう(現三島町)。寛永一一年(一六三四)の与板藩分知の村々(長岡の歴史)には村名の記載はない。正保国絵図に中田村とあり、高一二七石余で与板藩領。寛文四年(一六六四)の同藩牧野康道宛朱印状(寛文朱印留)にある「中川村」は当村と考えられることから、正保二年(一六四五)以前には与板藩領に属したらしいが、寛永一一年までさかのぼるかどうかは不明。同藩牧野氏の移封後は一時幕府領。宝永二年(一七〇五)与板藩領となり幕末に至る。「関守(与板町郷土資料館蔵)によると、元禄年中(一六八八―一七〇四)検地では、村高一六四石余、田一四町四反余・畑二町三反余で、他は荒蕪地。

中田新田
なかたしんでん

[現在地名]江東区東砂ひがしすな三―五丁目

西は大塚おおつか新田、東は中川を隔てて東小松川ひがしこまつがわ村飛地(現江戸川区)、北は太郎兵衛たろべえ新田。東西約二町・南北約二町半。検地は元禄一〇年(一六九七)(風土記稿)、元禄国絵図には同村と合せて一村として記される(葛西志)元禄郷帳によると高一九七石余、旧高旧領取調帳では高四七石余。

中田新田
なかだしんでん

[現在地名]上越市中田新田

大日だいにち村の東に位置する。天和三年郷帳によれば高一一三石六斗余、うち野高一石五斗二升。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android