与板町(読み)よいたまち

日本歴史地名大系 「与板町」の解説

与板町
よいたまち

面積:二〇・二四平方キロ

郡東部に位置し、東は信濃川を挟んで南蒲原みなみかんばら中之島なかのしま村、南東は長岡市、西は和島わしま村、南西三島みしま町、北は寺泊てらどまり町に隣接する。西部には標高一五〇メートル前後の三島丘陵が起伏し、南東部には信濃川とその支流くろ川に沖積された平坦地が開ける。東寄りを黒川、その西を旧黒川が北流し、東境を北流する信濃川に合流する。合流点の西方の山麓沿いに与板の街並が形成されている。信濃川と丘陵地帯という地理的条件を生かして本与板もとよいた城・与板城などの山城が構築され、中世末辺りから水・陸路とも整い商業活動が展開された。

与板町
よいたまち

[現在地名]米沢市堀川町ほりかわちよう

町の北西にある下級家臣屋敷町。慶長年間(一五九六―一六一五)の初め、直江兼続の直参衆の与板組が居住したことからの町名とされる。享保一〇年(一七二五)の城下書上によれば町の長さ一一〇間・道幅九尺・屋敷数二九。同年の城下絵図では重臣武田大隅の下屋敷がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報