中之保村(読み)なかのほむら

日本歴史地名大系 「中之保村」の解説

中之保村
なかのほむら

[現在地名]武儀町中之保

現武儀町の東部に位置し、村の西を津保つぼ川が湾曲して流れる。支邑若栗わかくり組の地で同川に村内を西流する中之保川が合流する。中保・中ノ保とも記す。慶長一〇年(一六〇五)の実蔵坊津保檀那目録案(経聞坊文書)に「中保」とみえる。慶長郷帳に中ノ保村とみえ、高六七九石余。江戸初期には幕府領で、元和元年(一六一五)尾張藩領となる。正保郷帳では同藩領六七九石余・南宮領二石(二〇石の誤記)で、田高三三一石余・畑高三五六石余・山年貢一一石、ほかに新開田高三八石余・同畑高八九石余がある。明暦覚書には津保谷中ノ保村と記され、概高七一二石余、人数七一一、馬四六、先年石灰を焼いていたが、近年薪不足となり中止されたとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報