下馬橋跡(読み)げばばしあと

日本歴史地名大系 「下馬橋跡」の解説

下馬橋跡
げばばしあと

熊本城本丸の南部西端と花畑はなばた館北部西端とを結ぶ、坪井つぼい川に架かっていた橋。城内への入口で、これから先は馬を降りる規則であったためこの名がある。「制度考」によれば、下馬橋・同所辻・同所南辻に辻番所が置かれていた。「国誌」によると、もとは土橋であったが、橋柱の銘により、万治元年(一六五八)に板橋になったと推測される。行幸みゆき橋新設の時に撤去された下馬橋の橋脚石柱の一部は、現在熊本高校の正門に利用され、「明和三年戊正月」の銘がある。近世写生画である熊本城図(永青文庫蔵)によると、馬具櫓と書物櫓の石垣から橋の袂まで石垣を築いて橋の取付口を固め、橋脚は三本宛五ヵ所に立つが、「熊本市史」所収の写真によれば、脚柱は二本宛七ヵ所に立つ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報