下荒木村(読み)しもあらきむら

日本歴史地名大系 「下荒木村」の解説

下荒木村
しもあらきむら

[現在地名]久留米市荒木町下荒木あらきまちしもあらき

白口しらくち村の南、ひろ川右岸に位置し、北部を上津荒木こうだらき川・野添のぞえ川が流れる。東は上荒木村、西は大善寺だいぜんじ村。中世は三潴庄荒木村が成立。文禄四年(一五九五)の知行方目録に「あらき村」がみえ、高二千三九四石余。慶長二年(一五九七)二月一二日の柳川領村高附帳(立花家文書)では下荒木村の反別七七町余、分米六八六石余。元和四年(一六一八)の大善寺玉垂宮鳥居刻銘に願主として下荒木村の田河七郎左衛門尉の名がみえる。本高は八八五石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」によると古高一千一七〇石・役高一千四一石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高一千四九石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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