日本歴史地名大系 「広川」の解説
広川
ひろがわ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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和歌山県中西部,有田郡の町。人口7714(2010)。広川下流に位置し,北西は紀伊水道,湯浅湾に臨む。広川河口南岸の広が中心集落で,江戸時代,紀州藩主徳川頼宣が広御殿を建て,寛文年間(1661-73)には大波戸(波戸場)もできて港町として発展した。房総半島や五島列島などへの出稼漁民も多く,特に九十九里浜のイワシ漁,銚子のしょうゆ醸造業の発展の基礎を築いた。現在はミカン栽培を中心とする農業が基幹産業で,花卉の栽培も行われる。紡績工場,しょうゆ工場もある。安政地震の大津波のときに村民を救い,第2次大戦前の国定小学国語読本に〈稲むらの火〉として記された浜口梧陵の出身地で,梧陵の築いた広村堤防(史)が残る。海岸は天洲松原として知られたリアス式海岸の景勝地で,西有田県立自然公園に属する。広八幡神社の本殿,拝殿などや法蔵寺の鐘楼は重要文化財。JR紀勢本線,国道42号線が通り,阪和自動車道のインターチェンジがある。
執筆者:上田 雅子
福岡県南部,八女(やめ)郡の町。人口2万0253(2010)。耳納(水縄)(みのう)山地の南西に続く洪積台地と,筑後川支流の広川,長延川沿いの沖積低地からなる。西部を国道3号線が南北に通る。主産業は農業で,米のほかイチゴ,ブドウ,ミカンなどの果樹,茶,野菜の栽培が行われ,とくにブドウは県有数の生産地である。特産物として久留米絣(かすり),竹細工,植木などがある。九州自動車道のインターチェンジがあり,久留米・鳥栖テクノポリスの一角を占め,近年工業も成長している。町域南部から八女市北部にかけては人形原(にんぎようばる)台地とよばれ,八女古墳群(史)に含まれ,石人山(せきじんやま)古墳がある。
執筆者:松橋 公治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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