日本歴史地名大系 「下竪小路町」の解説
下竪小路町
しもたてこうじまち
竪小路のうち
中世期には下竪小路北半の辺りは、東に大内館(大殿御殿)、西に六番丁・七番丁の武家屋敷があった。山口古図によると、石原小路以南、
惣門より南が山口古図では「立小路町」で、おそらく町地であった。惣門のすぐ東に「大徳寺」があり、同じく下って東に入る道を「鞍馬小路」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
竪小路のうち
中世期には下竪小路北半の辺りは、東に大内館(大殿御殿)、西に六番丁・七番丁の武家屋敷があった。山口古図によると、石原小路以南、
惣門より南が山口古図では「立小路町」で、おそらく町地であった。惣門のすぐ東に「大徳寺」があり、同じく下って東に入る道を「鞍馬小路」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新