下池田村(読み)しもいけだむら

日本歴史地名大系 「下池田村」の解説

下池田村
しもいけだむら

[現在地名]甲南町池田いけだ

上池田村の北、そま川左岸の段丘上に位置。北対岸は寺庄てらしよう村、東対岸は高野たかの(現甲賀町)小川こかわ中島なかじま田中たなかの垣内に分れる。中世は池田保の内。元禄四年(一六九一)池田村が上・下に分れて成立。元禄郷帳に下池田村とみえ、高六一二石余、旗本酒井領。元治二年(一八六五)の大鋸高四九石余・大工高三〇石余(小山文書)。宝永三年(一七〇六)当村と野尻のじり村の用水池として笠間かさま溜池築造。文化二年(一八〇五)には両村で溜池利用について取交わしがなされた(池田区有文書)。明治七年(一八七四)上池田村と合併して池田村となる。天台宗金龍こんりゆう寺は嘉祥元年(八四八)円覚開基を伝え、応仁二年(一四六八)四月五日に望月重継、元亀三年(一五七二)三月日に池田信輝による釣鐘寄進改鋳を伝える(甲賀郡志)

下池田村
しもいけだむら

[現在地名]岸和田市下池田町・下池田町二―三丁目

荒木あらき村の南東久米田くめだ丘陵北端から平野部になる付近、熊野街道(小栗街道)の北側に位置する。条里制地割遺構がみられ、一の坪から三六の坪までの地名が残る。「行基年譜」に隆池りゆうち(久米田寺)の所在を記して「泉南郡下池田村」とみえるが、これは上池田村の誤りではないかと考えられる。しかしいずれにせよ池田の地名は古代にさかのぼることは確実である。年欠の久米多寺免田注文(久米田寺文書)には、八木やぎ郷の里名として「下池田里」がみえる。当地であろう。文禄三年(一五九四)の検地高は四四一石余(「和泉国村々名所旧跡附」、元禄四年「泉州泉・南郡之内松平伊賀守領分寺社改帳」麻野家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android