蔵王権現社(読み)ざおうごんげんしや

日本歴史地名大系 「蔵王権現社」の解説

蔵王権現社
ざおうごんげんしや

[現在地名]平鹿町醍醐

明沢あけさわ村の東一・五キロの地にある明沢嶽(金峰きんぽう山、四五二メートル)の頂に鎮座。金峯山と号す。

「雪の出羽路」によれば、寛治三年(一〇八九)の棟札、大治二年(一一二七)の蔵王権現木像、元亨元年(一三二一)の扉、文治三年(一一八七)法華経、応永一二年(一四〇五)の梵字石経、永享五年(一四三三)の棟札または扉、年代不明の小野寺式部義行奉納の正観音像、戦国末期の馬鞍まくらの城主関口能登守道行奉納の神鏡、天正一八年(一五九〇)の「仙北上浦之内赤沢村肝煎」による開田成就祈願の記録があると記し、近隣領主の尊崇を受けていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報