下柚木村(読み)しもゆのきむら

日本歴史地名大系 「下柚木村」の解説

下柚木村
しもゆのきむら

[現在地名]塩山市下柚木

藤木ふじき村の北にあり、市域では北西端にあたる。笛吹川上流の左岸に位置し、東側はおうぎ(恵林寺山)の山地が迫り、西は笛吹川を隔てて室伏むろぶし村・成沢なるさわ(現牧丘町)。もとは上柚木村(現三富村)と一体で、永禄六年(一五六三)一〇月吉日の恵林寺領穀米并公事諸納物帳と同年一一月吉日の恵林寺領検地日記には「柚之木」の次郎左衛門尉、「柚木」の助右衛門らの名請人百姓の名がみえる。諸納物帳では黒沢くろさわの納物として「湯木」とも記され、同所次郎左衛門尉の役引の内訳は糸代二〇〇文・入木六駄七二文・柿一把一〇文・干草一荷五文・大つくゑ四文。助右衛門尉の役引の内訳は山折敷五枚三文・柿三串三文・入木六駄七二文。また公事地よりの納物として「柚木平」の年貢外納物は「すち」一荷一五文・萱二駄二〇文・造営人足二〇人三〇〇文の計三三五文であった。なお地名は湯木とも記されるところから、燃料の湯木を恵林えりん寺に納めたことに由来するとも考えられている。

下柚木村
しもゆぎむら

[現在地名]八王子市下柚木・南陽台なんようだい一―三丁目・南大沢みなみおおさわ絹ヶ丘きぬがおか三丁目

多摩川の支流大栗おおくり川の中流域の両岸にわたって立地。南の上柚木村との間に村域が入組み、同村内に飛地も多い。西の打越うちこし村境に猿丸さるまる(現野猿峠)があり、戦国期より八王子地域と小野路おのじ(現町田市)方面を結ぶ道(現野猿街道)が通じていた。。中世には船木田ふなきた庄に属し由木ゆぎ郷とよばれた。田園簿に村名がみえ、田一三六石余・畑五七石余で幕府領、ほかに永林えいりん寺領一〇石。寛文五年(一六六五)の田方三給分地検地帳(中村家文書)などが残る。元禄郷帳では高四〇九石余。宝永三年(一七〇六)村内の高一二四石余・反別一六町七反余(うち畑方一〇町余)が旗本石川氏の知行となった(「石川盛行知行地拝領控書」近藤家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android