下加茂村(読み)しもがもむら

日本歴史地名大系 「下加茂村」の解説

下加茂村
しもがもむら

[現在地名]福山市加茂かも町下加茂

加茂谷の西側に南北にわたる地域で、北は神石じんせき郡に至る街道沿いに百谷ももたに村と境し、南は東法成寺ひがしほうじようじ村、東は粟根あわね村・芦原あしはら村・上加茂村、西は服部本郷はつとりほんごう服部永谷はつとりながたにの山に接する。百谷川が貫流し、加茂川に合流してさらに芦田あしだ川に至る。

古代あな国の中心であったと考えられる加茂谷の西側にあって、弥生時代の遺跡も点在する。とくに倉田くらた地区の貴船きぶね神社を祀る丘陵の前方部に弥生式土器の大甕二個が東西に口を向け、底部を合わせて埋蔵されていて、甕棺葬とみなされている。また猪之子いのこ遺跡からは後期の弥生式土器や石斧が出土した。

下加茂村
しもがもむら

[現在地名]南伊豆町下賀茂しもがも

上加茂村の南、青野あおの川中流域に位置する。「和名抄」所載の賀茂郡賀茂郷の遺称地。下賀茂村とも記す。古くは加茂村に含まれ、元禄(一六八八―一七〇四)頃に分村したという(増訂豆州志稿)。江戸時代の領主の変遷は一条いちじよう村と同じ。元禄郷帳によると古は加茂村と肩書されて村名がみえ、高四四七石余。天明八年(一七八八)差出帳(菊池家文書)によれば、用水は川上の上加茂・石井いしい両村で川を堰上げて取水、石井村を通ってくる用水溝を利用し、毎年溝代として米二斗余を上納。雑木御林一一町五反余、御林番一人の給分は下田一反。

下加茂村
しもがもむら

[現在地名]洲本市下加茂一―二丁目下加茂

中川原なかがわら丘陵の南麓、ほぼ東流する洲本川北岸にある。三原みはら郡に属し、東は津名つな宇山うやま村。村名は下賀茂とも記される。正保国絵図に村名がみえ、高三三二石余。天保郷帳では高三三六石余。反別戸数取調書によると反別三一町九反余、高三六九石余、うち蔵入高一六石余・給知高三五二石余。給人は上田吉之丞ら二名。家数六五・人数四二九。金屋組に属した。溜池赤松谷あかまつだに池など一〇ヵ所があった(味地草)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報