上野清(読み)うえの・きよし

朝日日本歴史人物事典 「上野清」の解説

上野清

没年:大正13(1924)
生年安政1(1854)
明治期の数学啓蒙家。江戸に生まれる。福田理軒,半親子の順天求合社に数学を学ぶ。終始民間にあって,私塾を開いたり多数の中等教科書を執筆するなどの活動を行った。明治10(1877)年発足した東京数学会社の会員となり,数学用語の翻訳事業の可否を巡って中川将行と論争している。上野は訳語統一の可能性に懐疑的であった。12年会社を退社。のち,20年に川北朝鄰が興した数学協会に参加したほか,多くの数学雑誌を主宰した。独自の研究成果はないが,当時の数学界の主流派への批判は出色である。<参考文献>『日本の数学100年史』上

(佐藤賢一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上野清」の解説

上野清 うえの-きよし

1854-1924 明治-大正時代の教育者,数学者
嘉永(かえい)7年閏(うるう)7月17日生まれ。小林清吾の3男,4歳のとき上野家の養子となる。福田理軒・治軒親子らにまなぶ。東京数学会社や数学協会に参加。明治5年上野塾(現東京高の前身)を創設。23年東京数学院,27年仙台数学院(現東北高)を創設した。大正13年6月21日死去。71歳。江戸出身。著作に「算術三千題」「近世算術教科書」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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