上野河戸村(読み)うえのこうずむら

日本歴史地名大系 「上野河戸村」の解説

上野河戸村
うえのこうずむら

[現在地名]南濃町上野河戸

羽根はね村の南、揖斐いび川右岸に立地する。伊勢東街道が通る。河戸は郡戸から、または高津から転じたともいう。郡戸とすれば九条家領庄園の郡戸こおるど庄に関連するか。弘治二年(一五五六)九月二〇日の斎藤高政安堵状(東高木文書)に郡戸河関がみえ、高木貞久は同関など六郷を高政(義龍)より安堵されており、郡戸郷内の河に設けられた関所があった。天正一四年(一五八六)七月二三日、高木貞俊は「山共に二百八貫六百二十一文 郡戸、よし野共に百六十四貫三百六十文 上野」両郷を織田信雄より安堵されている(織田信雄知行宛行状「濃飛両国通史」所引高木文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報