上宮遺跡(読み)かみやいせき

日本歴史地名大系 「上宮遺跡」の解説

上宮遺跡
かみやいせき

[現在地名]斑鳩法隆寺南三丁目

平成三年(一九九一)歴史公園整備事業に伴う発掘調査飛鳥・奈良時代の遺構が検出され、宮殿跡と推定されている。

飛鳥時代のものは井戸や溝で、七世紀前半の土器類、八葉素弁蓮華文軒丸瓦、焼成を受けた凝灰岩の切石が出土している。

奈良時代の掘立柱建物群は二時期あるが、中心建物(前殿)は東西棟で、東西七間・南北五間、二面廂の大型建物である。この建物の北側にやや小型の建物一棟、東側に南北棟一棟を配置する。さらに東側に総柱の建物などもある。出土品木簡墨書土器とともに、平城宮跡出土瓦と同笵のものが大量にある。

この遺跡の性格は付近に「上宮」の小字名が残り、南側に「葦垣宮」の扁額を掲げるじようふく寺があって、葦垣あしがき宮の伝承が残っていたこと、遺跡の北側には法隆寺の門前を通って河内に通じるよこ大路(横道)が通り、東側の富雄とみお川に沿って飛鳥あすかから斑鳩いかるがに通じる太子たいし道が通じていること、さらに「続日本紀」に神護景雲元年(七六七)称徳天皇が飽波あくなみ宮に行き、法隆寺の奴婢二七人に爵を賜い、二日間滞在した記事があり、また河内由義ゆげ宮に行くためこの地に滞在した記事があることから、飽波宮の可能性が高い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報