上大浦村(読み)かみおおうらむら

日本歴史地名大系 「上大浦村」の解説

上大浦村
かみおおうらむら

[現在地名]下田村上大浦

五十嵐いからし川中流左岸にあり、上流高屋敷たかやしき村・滝谷たきや新田村下流馬場ばば村。永正七年(一五一〇)八月二〇日の上杉定実充行状(歴代古案)によると「五十嵐保内大浦分事」が、永正の乱の戦功により佐藤修理亮に与えられている。永禄三年(一五六〇)一〇月吉日の貫屋家兼売券案(来田文書)には「上大浦」とある。天正五年(一五七七)の三条領闕所帳(市川浩一郎氏蔵)に原藤介分として「太浦・池田共ニ」とあり、同年の三条衆給分帳(同氏蔵)には「佐藤与八郎分 大面之庄内太浦村」、また「小柴新四郎分 保内太浦之池田共ニ」「井口分 しやう瀬村・三条内塚目・大うら村」が記される。現在も二日町ふつかまち地名が残り、中世以来五十嵐川中流の船着場として、定期市が立っていたことがうかがわれる。

上大浦村
かみおおうらむら

[現在地名]大山町上大浦

熊野くまの川右岸にあり、東は花崎はなさき村、北は西文珠寺にしもんじゆじ村、西は中大浦村。もと大浦保(村)の内で、正保郷帳に「太田ノ」と注記されて大浦村があり、高七六六石余、田方五一町・畑方六畝余。明暦二年(一六五六)の村御印の草高九〇七石、免五ツ七歩、小物成は山役一九九匁・鮎川役三匁(村々御印物等書上)。加賀藩領から万治三年(一六六〇)以降富山藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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