三豊(読み)ミトヨ

デジタル大辞泉 「三豊」の意味・読み・例文・類語

みとよ【三豊】

香川県西部にある市。稲作野菜・茶などの生産が盛ん。平成18年(2006)1月、三豊郡7町が合併して成立。人口6.9万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「三豊」の意味・わかりやすい解説

三豊[市] (みとよ)

香川県西部の市。2006年1月財田(さいた),高瀬(たかせ),詫間(たくま),豊中(とよなか),仁尾(にお),三野(みの),山本(やまもと)の7町が合体して成立した。人口6万8512(2010)。

三豊市南東部の旧町。旧三豊郡所属。人口4516(2005)。南部は讃岐山脈北斜面で,北部は丘陵性山地をなす。中央部を財田川が西流し,川沿いに集落が散在する。東部をJR土讃線と国道32号線(阿波街道)が縦貫し,猪鼻(いのはな)峠をトンネルで抜け徳島県にいたる。基幹産業は農林業で,米,タバコ,たけのこ,シイタケ,ミカンなどの栽培が行われる。香川用水は吉野川の水を徳島県池田ダムから取水,讃岐山脈を約8kmのトンネルで抜け讃岐平野に導水する用水で,東部幹線と西部幹線を分ける分水口が町内の長野にある。

三豊市中東部の旧町。旧三豊郡所属。人口1万6437(2005)。琴平山の西側に位置し,浸食残丘が多く,中央部を高瀬川が北西流し,川沿いに平地が広がる。西部をJR予讃線と国道11号線が縦貫し,高瀬駅付近や国道沿いに商店街が形成され中心地をなす。古くから溜池灌漑による農業が盛んで,米,たけのこ,茶,ミカンの栽培が盛んである。特に茶は香川用水を利用した灌水施設の設置により増収が計られ,高瀬茶として知られる。高瀬駅西方の爺上(とかみ)公園は桜の名所。羽方にある大水上(おおみなかみ)神社は讃岐二宮で,境内には平安末~鎌倉期の二ノ宮窯跡(史)がある。

三豊市北端の旧町。旧三豊郡所属。人口1万4935(2005)。瀬戸内海に面し,北西に突出する三崎半島と北方海上の粟島,志々島を含む。高瀬川下流域にわずかな平地が開け,河口部の詫間港を中心に市街地が発達,JR予讃線が通じる。かつて製塩が盛んであったが,1953年に港湾開発と臨海工業地化の計画を策定し,塩田は県内各地に先がけて廃止された。以来,西日本における外材流通基地として発展している。埋立地に造成された工業団地には木材や造船などの工場が立地する。農業はミカン,花卉などが主で,漁業はノリ,ハマチ,タイなどの養殖が行われる。三崎半島の一部や粟島,志々島は瀬戸内海国立公園に属する。

三豊市西部の旧町。旧三豊郡所属。人口1万1526(2005)。町の南縁を財田川が西流,中央部に三豊平野が広がり,古くから溜池灌漑による米作を中心とした農業が盛んである。近年は米作のほか,花卉,タマネギブドウ,ミカンの栽培,畜産など幅広い農業が行われる。工業は家電関係の大工場をはじめ,食品,金属,木工などの中小工場が立地する。町の中央部をJR予讃線,高松自動車道,国道11号線が縦貫する。四国八十八ヵ所70番札所の本山寺があり,本堂(国宝)と八脚門(重要文化財)は鎌倉時代の建築である。

三豊市北西部の旧町。旧三豊郡所属。人口6796(2005)。西は燧(ひうち)灘に面し,それ以外の三方を七宝山系に囲まれる。沖合1kmに奇岩で知られる大蔦島,小蔦島がある。戦国時代,細川頼弘の居城が築かれた。江戸時代には三野・豊田両郡随一の良港として,また木造船,刃物,酢,しょうゆ,酒などの生産と取引の中心地として繁栄し,豪商も輩出した。しかし明治になって予讃本線からはずれ,衰微した。江戸時代から続いた塩田は1972年廃止され,広大な跡地の一部では国のサンシャイン計画に基づく太陽熱発電プラントが建設され,81年4月に世界最初の太陽熱試験発電(最大出力2000kW)に成功した。あわせて太陽熱発電所を中心とした太陽博覧会が81年から83年まで開催された。塩田跡地北半ではエビ養殖が行われている。南部の曾保地区はミカン産地として知られ,イチゴ,花卉を主とする施設園芸も盛ん。常徳寺円通殿,覚城院鐘楼,賀茂神社など文化財も多い。

三豊市北部の旧町で,瀬戸内海に面する。旧三豊郡所属。人口9561(2005)。東は火上山(409m)や弥谷(いやだに)山(382m),西は南北に連なる七宝山系で限られ,中央部は高瀬川が形成した広い沖積低地が占める。米作中心の農業が主産業で,ミカン,ブドウ,タマネギの栽培と畜産も盛んである。大手企業の進出も見られ,鉄工,繊維,電気製品などの工場が立地する。2006年3月に高松自動車道の三豊鳥坂インターチェンジが供用開始。JR予讃線が通じる中心地の下高瀬法華堂(ほうけどう)は本門寺の門前町で,旧暦10月半ばに開かれる高瀬大坊市が有名。弥谷山中腹の弥谷寺は四国八十八ヵ所71番札所で,弘法大師修行の道場として知られる。

三豊市の東部から南西部にかけて位置する旧町。旧三豊郡所属。人口7409(2005)。南は徳島県に接する。財田川中流域に位置し,中央部は三豊平野南部にあたる。北東部は丘陵性の花コウ岩山地で,南部は讃岐山脈北斜面を占める。北部を横断する国道377号線は伊予街道,金毘羅(こんぴら)街道とも呼ばれ,伊予方面から金刀比羅宮に至る幹線道路で,道路沿いに街村が形成され,灯籠や道標が残る。農林業中心の町で,米,タバコ,たけのこ,ミカンなどの栽培が盛んである。工業は古い伝統をもつ鋳造業をはじめとして,食品,製紙,繊維製品などの工場が立地する。四国八十八ヵ所67番札所大興寺があり,菅生神社社叢は国の天然記念物。
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