三本木町(読み)さんぼんぎちよう

日本歴史地名大系 「三本木町」の解説

三本木町
さんぼんぎちよう

面積:四四・七七平方キロ

県のほぼ中央に位置し、北部は穀倉地帯大崎おおさき耕土、南部は豊富な亜炭層を包蔵する丘陵地帯、中央部を鳴瀬なるせ川が貫流する。早くから開け、縄文時代・弥生時代の遺跡や古墳も多く、ありふくろ山畑やまはた横穴群は最北の装飾古墳として国指定史跡。「和名抄」の志田郡の志太郷は、現在の三本木町の辺りをさすとみられる。古来南北と東西に走る陸上交通の要地として、また鳴瀬川を利用する水上交通の面でも米の積出しで賑った。

三本木町
さんぼんぎちよう

中京区東洞院通丸太町下ル

南北に通る東洞院ひがしのとういん(旧東洞院大路)の両側町で、北は丸太町まるたまち(旧春日小路)、南は竹屋町たけやまち(旧大炊御門大路)

平安京の条坊では、町の西側は左京二条三坊四保一五町東、東側は左京二条四坊一保二町西。平安中期以降は春日東洞院大路の南にあたる。室町時代には、応永三二年(一四二五)一一月一〇日付酒屋交名(北野天満宮史料)に、「大炊御門東洞院北西頬 香海実祐」とみえる。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「三本木四町目」とある。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には三本木四町目が「北半町南半町二町に分かる」とあるが、天保二年(一八三一)改正京町絵図細見大成には「三本木四丁目」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報