三宅氏(読み)みやけうじ

改訂新版 世界大百科事典 「三宅氏」の意味・わかりやすい解説

三宅氏 (みやけうじ)

江戸時代の譜代大名。1558年(永禄1)政貞・康貞父子はそろって徳川家康に見参し,旧領三河国梅坪を安堵されて徳川氏の家臣となる。康貞はたびたびの軍功によって90年(天正18)武州瓶尻(みかしり)に5000石の領地を与えられ,さらに1604年(慶長9)には三河国挙母(ころも)1万石を領した。19年(元和5)康信のときに,伊勢の亀山に移ったが,36年(寛永13)康盛のときに再び挙母に帰った。さらに康勝のとき64年(寛文4)に三河国田原藩1万2000余石に転封となり,以後,代々田原藩主として幕末に至った。維新後は子爵
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の三宅氏の言及

【大名】より

… 城主以下は親藩・譜代・外様大名のいずれにも適用されるが,(3)城主は城郭に住まう大名で,だいたい3万石以上の領地高があれば城主とみてよい。ただ三宅氏(三河田原)のように1万石余でも城主の場合もある。 (4)城主格は城主に准ずるもので,無城ではあるが城主の格式が与えられた。…

※「三宅氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」