三ノ瀬村(読み)さんのせむら

日本歴史地名大系 「三ノ瀬村」の解説

三ノ瀬村
さんのせむら

[現在地名]東大阪市三ノ瀬一―二丁目

渋川郡に属し、東隣荒川あらかわ村の枝郷。享保八年(一七二三)年貢・諸役は村切となった(→荒川村。元文二年(一七三七)河内国高帳では三ノ瀬村として高二〇五石余、幕府領。宝暦一〇年(一七六〇)には幕府領(瀬川家文書)、天保郷帳では荒川村に含まれており、幕末にも幕府領。宝暦四年の村明細帳(小倉家文書)によると家数二七(高持一六・無高一〇・西派の道場一)・人数一一二、牛三。文化五年(一八〇八)の荒川村の書上(行松家文書)によれば家数三一。田畑の三〇パーセントほどはやや高く、用水が行届かず天水場になっていたが、大和川の付替え以後東方を流れる長瀬ながせ川の水量が減少したため用水はいっそう不足し、地ごとに井戸・池を掘ったが干害を免れることはできなかった。

三ノ瀬村
さんのせむら

[現在地名]婦中町三瀬さんのせ

山田やまだ川中流左岸に位置し、北は外輪野そとわの村、南は高山たかやま村。山田川に沿って下流から下瀬しもぜ・上瀬とともに鮎・鱒の捕獲場所が地名となり、三番目の瀬ということで名がついたと伝える(婦負郡志)正保郷帳では高山村を含んで高五〇石余、田方八反余・畑方二町五反余。享保六年(一七二一)の高四七石余(「村付高改帳」島倉家文書)。寛政二年(一七九〇)の古高四二石余・定免四ツ一歩六厘、新田高二八石余・平均免五歩二厘余、小物成として小物成銀八匁七分一厘・川原役三匁(高物成品々手鏡)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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