デジタル大辞泉
「三つ子の魂百まで」の意味・読み・例文・類語
三つ子の魂百まで
幼いころの性格は、年をとっても変わらないということ。
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三つ子の魂百まで
幼時に表れた性質は、いくつになっても変わらない。教育を受け、大人になって経験を積んでも、幼い頃の性癖や思いは根強く残る。
[使用例] 子供の時分からいい着物を着ることがきらいで〈略〉いつでも強情を張っては家人をてこずらせたものだ。〈略〉三つ子の魂百までもとはよくいったもので、この年になっても依然として、僕の悪趣味がぬけず、今なお時々おふくろを手こずらせているのだ。[辻潤*絶望の書|1930]
[使用例] 私の、その折の夢は、高等学校を経て、大学で医術を学び、医者と宗教家とをかねようというのであった。宗教家になるという志望は、いわゆる三つ児の魂で、捨てえない。しかし、そうかといって、平凡な寺院生活を送る僧になるのには、あまりにアンビシャスであった[石橋湛山*湛山回想|1951]
[解説] ことわざの「三つ子」は数え年なので、文字どおりに受け取ると、満年齢で一~二歳に相当します。しかし、かならずしも厳密にこの年齢の子どもをさすわけではなく、比喩的に幼少の頃という意味で使われることが多いといえるでしょう。日本語の「三」や「三つ」には、区切りを象徴する意味合いがあり、かならずしも数値としての「三」とは一致しないことがあります。
現代では、このことわざが幼児を早くから学ばせる根拠としてよく引かれますが、満年齢と数え年を混同しているだけでなく、数の象徴的意味を忘れた議論といわざるをえません。
[類句] 雀百まで踊り忘れぬ
〔英語〕The child is father of the man.(子どもは大人の父である)
〔朝鮮〕세 살 적 버릇이 여든까지 간다(三歳のときの癖が八十歳まで続く)
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