辻潤(読み)ツジジュン

デジタル大辞泉 「辻潤」の意味・読み・例文・類語

つじ‐じゅん【辻潤】

[1884~1944]評論家東京の生まれ。放浪生活を送り、ワイルドシュティルナーなどの世紀末文学・思潮ダダイスム紹介。著「浮浪漫語」「ですぺら」など。

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精選版 日本国語大辞典 「辻潤」の意味・読み・例文・類語

つじ‐じゅん【辻潤】

評論家。東京の生まれ。放浪生活を送り、ワイルドやシュティルナーなどの世紀末文学・思潮やダダイスムを紹介。著「浮浪漫語」「ですぺら」など。明治一七~昭和一九(一八八四‐一九四四

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改訂新版 世界大百科事典 「辻潤」の意味・わかりやすい解説

辻潤 (つじじゅん)
生没年:1884-1944(明治17-昭和19)

評論家。別名風流外道,水道流吉など。東京浅草に生まれる。1895年神田の開成尋常中学校に入学した(田辺元,斎藤茂吉,村岡典嗣らと同級)が,父の死で中退,国民英学会に入る。読書で内村鑑三の影響を受けた。1902年私塾教師のかたわら,自由英学舎で巌本善治,新渡戸稲造らに学ぶ。09年上野女学校英語教師となるが,12年教え子伊藤野枝との恋愛で教職を追われた。16年妻野枝が家出をして大杉栄と同棲すると,比叡山の宿坊に入り,以後,酒を飲み尺八を吹くなどの放浪生活を続けながら翻訳をする。M.シュティルナーに訳業を通して影響を受け,虚無的思想を身につけていった(《唯一者とその所有》を1921年に完訳)。ついで能動的なニヒリズムを唱えた《浮浪漫語》(1922)を刊行する。詩人高橋新吉を知り,《ダダイスト新吉の詩》(1923)を編集,また,ダダの思想を語った《ですぺら》を刊行。25年7月荒川畔村らと雑誌《虚無思想研究》を創刊した(1926年2月廃刊)。28年読売新聞特派員として長男一(まこと)とパリに在住し,翌年シベリア経由で帰国。痛烈なる文明批判の書《どうすればいいのか?》(1929),《絶望の書》(1930)などを刊行。32年精神錯乱のため斎藤茂吉の診察を受け,青山脳病院に入院する。以後,入院と放浪を繰り返し,44年寮の一室で餓死した。
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百科事典マイペディア 「辻潤」の意味・わかりやすい解説

辻潤【つじじゅん】

評論家。東京生れ。国民英学会,アテネ・フランセ等で語学を学んだ。上野高等女学校勤務時代,教え子伊藤野枝と恋愛し退職,野枝はのち大杉栄のもとに走った。辻まことはその子。ロンブローゾワイルドなどを翻訳,西欧の世紀末思想を紹介し,自らもダダイストをもって任じた。放浪の生涯を送り,《浮浪漫語》《絶望の書》《痴人の独語》《ですぺら》等の著がある。
→関連項目高橋新吉武林無想庵宮沢賢治

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「辻潤」の解説

辻潤 つじ-じゅん

1884-1944 大正-昭和時代前期の評論家。
明治17年10月4日生まれ。辻まことの父。国民英学会,自由英学舎などでまなび,上野高女の英語教師となるが,明治45年教え子の伊藤野枝との恋愛で退職。のち高橋新吉を知ってダダイズムに接近,放浪生活をおくりながら文明を批評する翻訳,著述をつづけた。昭和19年11月24日死去。61歳。東京出身。訳書にシュティルナー「唯一者とその所有」,評論集に「浮浪漫語」「ですぺら」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「辻潤」の意味・わかりやすい解説

辻潤
つじじゅん

[生]1884.10.4. 東京
[没]1944.11.24. 東京
評論家。国民英学会などに学んだ。上野高等女学校に勤務中,教え子伊藤野枝との恋愛事件を起して退職。ド・クインシー,O.ワイルドらの著書を翻訳しながら放浪生活を続け,評論集『浮浪漫語』 (1922) ,『ですぺら』 (24) などを刊行,日本におけるダダ流行の端緒を開いた。

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