七右衛門新田(読み)しちえもんしんでん

日本歴史地名大系 「七右衛門新田」の解説

七右衛門新田
しちえもんしんでん

[現在地名]松戸市七右衛門新田

主水もんと新田の北、九郎左衛門くろうざえもん新田の西に位置する。集落は江戸川自然堤防上に南北に延び、主水新田に連なる。近世初頭下総台地周縁部の村々が江戸川左岸の低地に開発した新田村の一で、寛文一三年(一六七三)幕府代官伊奈左門(忠利)検地によって成立したと思われる(松戸市史)。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分には「古ハ膝丸新田」との注があり、高一〇四石余、幕府領。以後幕末まで同領(旧高旧領取調帳)。明和元年(一七六四)の年貢割付状(関家文書)によれば、寛文検地による本田高一〇四石余、反別は上田一町一反余・中田二町五反余・下田一〇町六反余、中畑一町二反余・下畑四町六反余、屋敷三反余。

七右衛門新田
しちえもんしんでん

[現在地名]海津町七右ヱ門新田

帆引ほびき新田の南東中江なかえ川と揖斐いび川に挟まれて立地。東は福江ふくえ村。尾張国海西かいさい上立田かみたつた(現愛知県海部郡立田村)の大井七右衛門らの開発という(海津町史)元禄郷帳に村名がみえ、高一四九石余で幕府領。村明細帳によれば、安永四年(一七七五)の田七五石余・畑二五石余、反別田七町五反余・畑二町五反余、家数一四、男四三・女二八、神社は八幡宮

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報