一柳直興(読み)ひとつやなぎ なおおき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「一柳直興」の解説

一柳直興 ひとつやなぎ-なおおき

1624-1702 江戸時代前期の大名
寛永元年生まれ。一柳直重長男正保(しょうほ)2年(1645)父の遺領のうち2万5000石をつぎ,伊予(いよ)(愛媛県)西条藩主一柳家3代となる。寛文元年の女院御所造営助役(すけやく)の役目怠慢,参勤交代遅参などで,5年所領を没収され,加賀金沢藩主前田綱紀にあずけられた。元禄(げんろく)15年8月3日死去。79歳。通称左近

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の一柳直興の言及

【一柳氏】より

…近世大名。美濃国の出身。直盛は豊臣秀吉に仕え,尾張黒田3万5000石を領有。関ヶ原の戦のときより徳川家康に属し,翌年伊勢神戸(かんべ)5万石となる。1636年(寛永13)伊予西条6万3000石に移封されるが,直盛の死去により,遺領は3子に分割。西条3万石は直重が相続し,その子直興のとき,分知して2万5000石。しかし65年(寛文5),勤仕怠慢を理由に除封された。一方,播磨小野は直家が相続。みずからの知行と合わせて2万8600石を領したが,直家の死後は1万石に減封。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」