一平安代(読み)いっぺい・やすよ

朝日日本歴史人物事典 「一平安代」の解説

一平安代

没年享保13.11.28(1728.12.28)
生年:延宝8.4.19(1680.5.17)
江戸中期の薩摩(鹿児島県)の刀工。一平安貞の子で,父および波平安国に鍛刀を学んだ。安代が活躍したのは元禄(1688~1704)後の平和な時期であり,刀剣の需要が少なく刀工不遇の時代であった。8代将軍徳川吉宗は武芸奨励策をとり,その一環として,全国の優秀刀工名簿を作り,さらに優れたものは江戸に召して,将軍の御前で作刀させたが,この薩摩から安代と主水正正清のふたりが選ばれ,享保6(1721)年1月,浜離宮で作刀し,その功により,銘に一葉葵紋を切ることを許され,また帰国の途,京都で主馬首の官名を賜った。作品は刀,脇指が主で,身幅が広い豪壮なものが多く,鍛えは板目に柾目を交え,刃文は直刃が浅く湾れ,互の目を交え沸が深くつくのを特徴としている。<参考文献>『薩摩刀名作集』

(原田一敏)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「一平安代」の解説

一平安代 いっぺい-やすよ

1680-1728 江戸時代中期の刀工。
延宝8年4月19日生まれ。薩摩(さつま)(鹿児島県)の刀工一平安貞の子。父および波平(なみのひら)安国にまなぶ。享保(きょうほう)6年正清とともに江戸にでて,将軍徳川吉宗の佩刀(はいとう)をつくる。功により銘に一葉葵紋(あおいもん)をきることをゆるされる。帰途,朝廷から主馬首(しゅめのかみ)の官名をうける。享保13年11月28日死去。49歳。

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