ワイマン(読み)わいまん(英語表記)Carl E. Wieman

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワイマン」の意味・わかりやすい解説

ワイマン
わいまん
Carl E. Wieman
(1951― )

アメリカの物理学者オレゴン州のコルバリス生まれ。入学したマサチューセッツ工科大学MIT)では、勉強のかたわら大学の研究室でアルバイトをし、物理学の基本に肌で触れる。研究室が原子物理の研究のために使い始めたレーザーに興味を覚えた。スタンフォード大学大学院へ進み、1977年に同大学で博士学位を取得。ミシガン大学を経て、1984年にコロラド大学準教授、1987年に同大学教授となる。コロラド大学と国立標準技術研究所が共同運営する宇宙物理学複合研究所(JILA:Joint Institute for Laboratory Astrophysics)でも研究を進める。

 1980年代のなかばに、従来の方法に比べて100分の1ほどのコストで、原子を極限まで冷却してその動きをおさえるレーザー冷却の手法を開発。この手法を使い、1924年にインドの物理学者ボースが理論的なきっかけをつくり、さらにA・アインシュタインが現象を予言した「ボース‐アインシュタイン凝縮」を実験的に確かめることに目標を定めた。これは、原子などのミクロ粒子を絶対零度(-273.15℃)近くまで冷やすと、それまではばらばらに運動していた粒子が、あたかもひとつの巨大粒子になったように動きがそろう現象である。ちょうど、気体の状態ではばらばらに飛んでいた水蒸気の粒子が、冷えて凝縮し水滴になると、まとまって動くのと似ている。1990年にJILAに移ってきたE・コーネルと共同で、約2000個のルビジウム原子を絶対零度まであと1億分の2℃というところまで冷却し、「ボース‐アインシュタイン凝縮」の状態にすることに成功した。この業績により、共同研究者のコーネル、またこれとは別に「ボース‐アインシュタイン凝縮」を実現したW・ケターレとともに、2001年のノーベル物理学賞受賞した。

[馬場錬成]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワイマン」の意味・わかりやすい解説

ワイマン
Wieman, Carl E.

[生]1951.3.26. オレゴン,コーバリス
アメリカ合衆国の物理学者。1973年マサチューセッツ工科大学 MITを卒業,1977年スタンフォード大学で博士号を取得後,ミシガン大学を経て 1984年にコロラド大学助教授,1987年から同教授。コロラド大学とアメリカ国立標準技術研究所 NISTが共同で運営する研究施設,天体物理学共同研究所 JILAの研究員も 1985年から兼任。博士研究員として NISTに入ってきたエリック・A.コーネルとともに磁気とレーザーでとらえた原子の温度を下げるプロジェクトを開始。光で原子の動きを止めるレーザー冷却と,温度の高い原子を追い出す蒸発冷却を組み合わせて,1995年,原子を絶対温度で 20nK(ナノケルビン。1nK=10億分の1K)まで冷やしてすべての原子を最低エネルギー状態に落とし込むボース=アインシュタイン凝縮(BE凝縮)状態をつくりだすことに世界で初めて成功した。アルカリ気体原子の BE凝縮の実現とその性質の基礎的研究で,ウォルフガング・ケターレ,コーネルとともに 2001年のノーベル物理学賞を受賞。そのほか,2000年にベンジャミンフランクリンメダルを受賞。

ワイマン
Wieman, Henry Nelson

[生]1884.8.19. ミズーリ,リッチヒル
[没]1975.6.19.
アメリカの宗教哲学者。サンフランシスコ神学大学,イェナ大学,ハイデルベルク大学などに学び,1917年ハーバード大学で博士号を取得。オクシデンタル大学哲学教授 (1917~27) ,シカゴ大学神学部の宗教哲学教授 (27~47) ,オレゴン大学教授 (49~51) ,ヒューストン大学教授 (51~53) などを歴任した。宗教的自然主義の立場を取り,神観念において人格主義的用語を用いることに反対し,神を価値形成の過程,凝結性の原理,創造的な善などと表現した。主著"Religious Experience and Scientific Method" (26) ,"Normative Psychology of Religion" (35,共著) ,"Intellectual Foundation of Faith" (61) 。

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