ロザミア(読み)ろざみあ(英語表記)1st Viscount Rothermere

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロザミア」の意味・わかりやすい解説

ロザミア
ろざみあ
1st Viscount Rothermere
(1868―1940)

イギリスの新聞経営者。ノースクリフ卿(きょう)の弟。本名はHarold Sidney Harmsworth。中学校卒業後、税務署員となったが、1888年兄が創刊した『アンサーズ・ツー・コレスポンデンツ』紙の営業面を担当し手腕発揮した。1894年『ロンドン・イブニング・ニュース』紙の買収、1896年『デーリー・メール』紙創刊にあたってもその営業面を助け、1914年からは『デーリー・ミラー』紙を経営、1915年には最初の写真日曜紙『サンデー・ピクトリアル』を創刊した。第一次世界大戦中は陸軍被服庁長官、空軍省長官を務めた。1922年、兄の死後アソシエーテッド・ニューズペーパーズ社の経営を担当したが、1932年その経営を息子に譲ってからは、ヒトラーを賛美するようになった。

[伊藤慎一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロザミア」の意味・わかりやすい解説

ロザミア
Rothermere, Harold Sidney Harmsworth, 1st Viscount

[生]1868.4.26. ハンプステッド
[没]1940.11.26. バミューダ
イギリスの新聞経営者。ノースクリフの弟。 1888年,兄の経営する雑誌"Answers"に協力して営業面で才能を発揮,同誌を危機から救った。 94年『ロンドン・イブニング・ニュース』 Evening Newsを買収してから日刊紙経営に乗出し,96年『デーリー・メール』 Daily Mail,1903年に『デーリー・ミラー』 Daily Mirrorを創刊したが,政治的にはきわめて保守的であったため読者の不評を買い,31年には同紙を売却するにいたった。第1次世界大戦時には航空相の任にあった。

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20世紀西洋人名事典 「ロザミア」の解説

ロザミア
1st Viscount Rothermere


1868 - 1940
英国の新聞経営者。
元・陸軍被服庁長官,元・空軍省長官。
本名Harold Sidney Harmsworth。
中学校卒業後、税務署員になるが、1888年兄が創刊した「アンサーズ・ツー・コレスポンデンツ」紙の営業面を担当する。1894年「ロンドン・イブニング・ニュース」紙の買収、1896年「デーリー・メール」紙創刊にあたってもその営業面を助けた。1914年「デーリー・ミラー」紙を経営し、’15年「サンデー・ピクトリアル」を創刊。第一次世界大戦中は陸軍被服庁長官、空軍省長官を務め、’22年兄の死後「アソシエーテッド・ニューズペーパーズ社の経営を担当、’32年その経営を息子に譲る。ノースクリフ卿の弟である。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「ロザミア」の解説

ロザミア

生年月日:1868年4月26日
イギリスの新聞経営者
1940年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のロザミアの言及

【ノースクリッフ】より

…94年には倒産状態にあった《ロンドン・イブニング・ニューズ》を買収して立ちなおらせた。96年には弟ロザミアと事務員,労働者,婦人などを対象にした大衆日刊紙の先祖ともいうべき《デーリー・メール》を創刊して大きな成功をおさめ,大衆新聞の時代を開き,さらに1903年に1ペニー日刊婦人紙としてふるわなかった《デーリー・ミラー》を,翌年,半ペニーのはじめての写真新聞に改めて成功した。事業の規模はその後も拡張され,1905年に日曜新聞《オブザーバー》を買い取り,ロザミアと当時世界最大の製紙工場を有するアングロ・ニューファンドランド開発会社をその翌年に創設し,08年には衰微していた伝統ある《タイムズ》の経営権を握り,しだいに回復させたが,私物化したといわれる。…

※「ロザミア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」