ルマン(英語表記)Jacques Roumain

精選版 日本国語大辞典 「ルマン」の意味・読み・例文・類語

ル‐マン

(Le Mans) フランス中西部の工業都市パリブルターニュノルマンディーおよびロアール川流域地方を結ぶ交通要衝で、ローマ時代から栄えた古い町。自動車耐久レース、ルマン二四時間レースを開催。

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デジタル大辞泉 「ルマン」の意味・読み・例文・類語

ル‐マン(Le Mans)

フランス中西部の工業都市。サルト県県都自動車工業が盛ん。ルマン24時間耐久レースの開催地。中世はメーヌ伯領の都。

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改訂新版 世界大百科事典 「ルマン」の意味・わかりやすい解説

ル・マン
Le Mans

フランス北西部,サルト県の県都。人口14万6105(1999)。サルト川に臨む丘を3~4世紀の城壁が半ば囲んでおり,内部の旧市街にはサン・ジュリアン大聖堂(11~15世紀)をはじめ中世の建築物が多く残されている。古来,メーヌ地方の主都として交通の要衝であり,農産物集散地,また僧服やろうそく,麻布などの地場産業の町であったが,1870年代以降,スポーツカーを中心に自動車工業の町となった。1923年には〈24時間ル・マンの自動車競走〉が始まり,36年にルノーの工場が移転してくるや,自動車産業とオートレースの町として世界的に知られるようになった。
執筆者:

石灰岩の大丘陵という立地条件により,3世紀末ローマ帝国によって建造された城壁が今も保存され,中世の市街をほぼ長方形に囲んでいる。11世紀末より1481年まで,イギリスのプランタジネット朝の治政下にあり,その時期に,サン・ジュリアン大聖堂をはじめ,ノートル・ダム・デュ・プレ教会,ラ・クテュール教会,王妃ベランジェールの館などが建造された。

 初代司教ジュリアン(3世紀)にささげられた大聖堂の西正面は11世紀末に起工されたが,1134年の大火の後,身廊の大部分が再建された。南袖廊(トランセプト)扉口彫刻は12世紀に制作され,シャルトル大聖堂〈王の扉口〉の彫刻様式を伝える。13世紀に付け加えられた後陣(シュベ)は,独特のY字形の飛梁フライイング・バットレス)をもつ。内部では,身廊の12世紀のステンド・グラス(〈昇天〉など)が鮮明な青と赤の対比でロマネスク様式を伝え,内陣の13世紀ゴシック様式のそれは,より深い青と赤の色彩対比をみせている。
執筆者:

ルマン
Jacques Roumain
生没年:1907-44

ハイチ現代文学の始祖。フランス留学から帰国後,1927年に《ルビュー・アンディジェーヌ》誌を発行し,ハイチにおけるアフリカの文化遺産を再発見するとともに,民族文化を確立することに努力した。メキシコ旅行中に執筆し死後に刊行された《露の支配者たち》(1944)は,ハイチの農村の日照りをテーマにしたロマンで,ハイチ文学史上の最高傑作といわれている。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルマン」の意味・わかりやすい解説

ルマン
Le Mans

フランス北西部,サルト県の県都。パリの西南約 200km,サルト川と支流ユイヌ川の合流点付近に位置する。ノルマンディーからロアール川沿岸に向かう街道と,ブルターニュとパリを結ぶ街道の交差地点に発達。ローマ時代の城壁に囲まれた旧市街は美しい聖ジュリアン大聖堂 (11~15世紀) を中心に広がる。中世にはメーヌ伯領の首都。ノルマンディー公国を経て,1481年フランス領。 1836年には人口1万 8000にすぎなかったが,その後,鉄道建設に伴い工業が著しく発展。電子,電気,自動車,鉄道,農業機械などの諸工業が立地。また農産物,ウシ,ワインの集散も行なわれる。毎年開催される耐久レース「ルマン 24時間」は有名。人口 14万3547(2008)。

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