麻布(読み)あざぶ

精選版 日本国語大辞典 「麻布」の意味・読み・例文・類語

あざぶ【麻布】

[1] 東京都港区内の地名。麻を栽培して布を作った土地であったため呼ばれたといわれる。江戸中期から武家屋敷が多く建ち、明治時代以降外国の公館や高級住宅地として発達。阿佐布。浅生。
[2] 〘名〙 (形動) (「麻布で気が知れぬ」から) 本心がわからないこと。また、その人。
※談義本・根無草(1763‐69)二「御性質(うまれつき)甚きゃんにてましませば、何事も麻布(アザブ)にて、様々どうらくをなし給ふ」

あさ‐ぬの【麻布】

〘名〙 麻糸で織った布。麻手
※続日本紀‐神護景雲元年(767)一〇月癸巳「献銭百万、紵布一百端
浮世草子日本永代蔵(1688)五「女は麻布(アサヌノ)織延(をりのべ)

あさ‐ふ【麻布】

〘名〙 大麻苧麻(からむし)綱麻(つなそ)亜麻などを材料にした布。特に夏用の着衣その他に使われる。《季・夏》
※俳諧・年浪草(1783)夏「麻布葛布藤布等之未曝者曰生平

ま‐ふ【麻布】

〘名〙 麻糸で織った布。あさぬの。〔後漢書東夷伝挹婁

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デジタル大辞泉 「麻布」の意味・読み・例文・類語

あざぶ【麻布】

東京都港区の地名。江戸時代大名屋敷・寺社が、明治以降は外国の公館が多い。もと東京市の区名。

あさ‐ふ【麻布】

あさぬの」に同じ。

ま‐ふ【麻布】

麻糸で織った布。麻の布。あさぬの。

あさ‐ぬの【麻布】

麻糸で織った布。あさふ。

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日本歴史地名大系 「麻布」の解説

麻布
あざぶ

日清・日露の戦争前後から隣接する赤坂とともに軍都の一部、軍隊の街として変貌した地域。首都東京は軍部の本拠地でもあり、陸軍の中枢機関が集中していたが、明治一九年(一八八六)師団司令部条例により帝都と近隣諸県の守備を目的とした第一師団(前身は第一軍管東京鎮台)、同二三年の近衛師団条例により皇城の守備や行幸啓の警備にあたる近衛師団(前身は近衛)の二師団が配置された。日清・日露の戦争期に対外戦準備のため軍備拡張を相ついで実施、師団と旅団も全国的に大拡張されたが、明治末年の東京には第一師団管下に第二歩兵連隊・第一騎兵連隊・第一砲兵連隊、近衛師団管下に第四歩兵連隊、第一騎兵連隊・第一砲兵連隊が在営。

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改訂新版 世界大百科事典 「麻布」の意味・わかりやすい解説

麻布 (あざぶ)

東京都港区南西部一帯の地区名。明治初期までは渋谷区の広尾あたりまでを含んでいた。1878年東京府15区の一つ,1932年東京市35区の一つとなり,47年赤坂の2区と合併して東京都23区の一つ港区が成立し,その一部となった。標高20~30mの武蔵野(山手)洪積台地の一部で,日下窪(ひがくぼ),谷町など多くの開析谷があり,鳥居坂,永坂,芋洗坂,笄(こうがい)坂,仙台坂など坂の多い所として有名である。江戸時代には城南地区の大名,武家屋敷地に当たり,寺社も多かった。幕末には名刹麻布山善福寺にアメリカ公使館が置かれたのを初め,明治以後,外国の大公使館,領事館が多く建てられ,一帯は高級住宅地となった。また東海道沿いを除き,城南地区では最も大きい町屋(商店街)が麻布十番一帯に成立し,第2次世界大戦前までは高級住宅地をひかえた東京旧市内の繁華街として知られ,現在も伝統的な商店街が見られるが,商業中心は六本木に移った。麻布台,東麻布一帯は飯倉と通称される。南麻布に有栖川宮(ありすがわのみや)記念公園がある。
執筆者:

江戸城南地域の称で,すでに戦国期の史料に〈江戸阿佐布〉と見える。地名の由来はむかし麻を多く植え,布を織ったからといい,また浅生とも書き浅茅生から転じたなどともいう。江戸初期には745石余の村高があったが,しだいに武家地,寺社地として開発が進んだ。1827年(文政10)の《武鑑》によれば当地域内の大名屋敷59(上屋敷22,中屋敷13,下屋敷24),500石以上の旗本屋敷59があった。町場化も進み,その多くは1713年(正徳3)に町奉行支配下に入った。1827-28年の調査によれば当地域内の町数60,総家数約4600軒(地主・家持407,地守・家守395,地借255,店借3474)であった。平安時代の創建で江戸幕府の庇護(ひご)を受けた善福寺など寺社の門前町屋も多く,その大部分は1745年(延享2)に町奉行支配下に入っている。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「麻布」の意味・わかりやすい解説

麻布
あざぶ

東京都港区中西部、北は青山、北東は六本木に接する一地区。東麻布、西麻布、元麻布、麻布十番、南麻布などからなる。また、1947年(昭和22)までは旧麻布区の一部であった。かつてアサを栽培し、布を織った地であることが地名の由来で、慶長(けいちょう)年間(1596~1615)には、麻布の原とよばれた。また、阿佐布、阿佐婦とも書かれた。山手(やまのて)台地の一部を占め、江戸時代は大名屋敷地や寺社地に利用されたが、明治以後は高級住宅地やドイツ、フランス、スイスなど、外国大使館の用地へと変わった。旧南部(なんぶ)(盛岡)藩屋敷地跡は、有栖川宮(ありすがわのみや)家の用地になり、現在は有栖川宮記念公園、都立中央図書館となっている。台地は多くの侵食谷で刻まれ、台地上の広い住宅地と対照的に狭い谷は住宅が密集している。南部坂、狐(きつね)坂、暗闇(くらやみ)坂など坂が多く、地形の変化が著しい。首都高速道路都心環状線、2号線、3号線のほか、東京地下鉄日比谷(ひびや)線、南北線、都営地下鉄大江戸線が通っている。

[沢田 清]


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百科事典マイペディア 「麻布」の意味・わかりやすい解説

麻布【あざぶ】

東京都港区の旧麻布区地域。武蔵野台地末端の麻布台に当たり,坂や谷が多い。元麻布,西麻布,南麻布,六本木などに分かれ,高級住宅,外国公館が多い。南側を流れていた古川は埋め立てられ首都高速道路が通じ,旧河谷沿いには機械,染色の小工場が散在。有栖川宮(ありすがわのみや)記念公園がある。
→関連項目港[区]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「麻布」の意味・わかりやすい解説

麻布
あざぶ

東京都港区西部にある地区。地名の由来は,昔,アサを栽培し,布を織った土地であることによる。山手台地の南東部を占め,起伏に富む。台地上には高級住宅地や外国公館が多い。麻布十番地区の古川の谷は,古くから東京旧市内の繁華街として知られた商業地。

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世界大百科事典(旧版)内の麻布の言及

【アマ(亜麻)】より

…亜麻繊維からの織物(リネンlinen。リンネルともいう)は麻布と呼ばれ,汗を吸い,またそれをすぐに発散させるので,夏用の服地として利用する。感触がよいので,乳児や婦人用の肌着,ハンカチーフ,ナプキン,テーブルクロス,シーツなどにする。…

※「麻布」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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