ライト(兄弟)(読み)らいと

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ライト(兄弟)」の意味・わかりやすい解説

ライト(兄弟)
らいと

兄ウィルバーWilbur Wright(1867―1912)、弟オービルOrville Wright(1871―1948)。アメリカの発明家。人類初の動力飛行機を開発した。オハイオ州デイトンで自転車製造販売業を営み、かなりの成功を収めていたが、1896年ドイツ人リリエンタールグライダー墜落で死亡したことを知り、航空に興味を覚えた。1899年5月、兄ウィルバーはワシントンの半官半民の科学啓発団体であるスミソニアン協会に手紙を書き、飛行に関する英文資料書籍を求めた。このころ協会には、自分でも飛行機の実験を行っていたラングリーがいて親切な返事を与えた。同年8月、飛行に興味を抱き出した弟オービルとともに全幅1.5メートルの複葉凧(たこ)をつくり、主翼を左右両舷(げん)で互いに反対にねじる横揺れ操縦方法を実験した。これは鳥の飛行に暗示されたようだが、ライト兄弟の設計理念を示すきわめて重要な要素であった。模型を基本にしたそれまでの飛行機が、すべて上反角をつけた主翼の固有安定に頼っていたのと対照的だからである。1900年には人間の乗るグライダーを製作し、恒風地を求めて遠い大西洋岸のノース・カロライナ州キティーホークに運んで実験した。主翼の前には昇降舵(しょうこうだ)の役をする前翼をつけた。リリエンタールのように尾翼としなかったのは、つねに搭乗者が監視でき、また水平線に対して前後の傾きの基準とするためであった。1901年、さらに大形のグライダーをつくりキティーホークで実験したが、満足すべき成果が得られなかった。とくに主翼断面形はリリエンタールその他の実験結果と特性に差があった。そこで兄弟は同年9月から翌1902年夏まで、兄弟の飛行の基礎をつくることになった風洞その他の研究を行った。この研究の成果を踏まえて同年秋、第3号グライダーをキティーホークで実験し、ライト機を完成に導いた。兄弟は横滑りのないつり合い旋回を行うため主翼後方に方向舵を設けて、主翼捩(ねじ)りとあわせて操舵するようにした。

 飛行機は三次元運動をする乗り物であり、昇降舵、補助翼(ライト機では主翼捩り)、方向舵の三舵翼をもつべきなのに、成功しなかったそれまでの飛行機は補助翼のない二舵翼であった。ここまでくれば兄弟のグライダーは動力飛行機にあと一歩である。ただ軽いエンジンと効率のよいプロペラを得ることが必要で、兄弟は苦心のすえこの二つも自製した。ここにもライト兄弟の執念天才が感じられる。兄弟は動力飛行機をフライヤー(飛行機の意)と命名し、1903年夏に製作された1号機は、12月17日、ついにキティーホークにおいて強風中で距離260メートル、時間59秒の飛行に成功した。彼らが自転車の次の商品として開発した飛行機は、彼らの初めの予測以上に偉大で新しい文化となった。

佐貫亦男


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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