ヤムニッツァー(英語表記)Wenzel Jamnitzer

改訂新版 世界大百科事典 「ヤムニッツァー」の意味・わかりやすい解説

ヤムニッツァー
Wenzel Jamnitzer
生没年:1508-85

ドイツ・マニエリスムの金工家。金工家の息子としてウィーンに生まれ,1534年ころ父ハンスHans J.および弟アルブレヒトAlbrecht J.とともにニュルンベルクに移り,そこで市民権と金工のマイスターの地位を取得,52年には同市の貨幣鋳造所の支配人,さらにニュルンベルク市の金工組合の統領に任ぜられた。また,国王の宮廷金工家として,皇帝マクシミリアン2世やルドルフ2世のために大型のテーブル・ウェアなどを製作した。作風は,マニエリスティックな形態と浮彫,彫金,七宝を豊富に駆使し,陶器におけるパリシーのごとく昆虫爬虫類をあしらった複雑な表面装飾が特徴である。1560年ころの作とみられる高価な石と銀めっきで飾った宝石箱や,1570年ころのオウムガイ形カップ,水さし(ウィーン美術史美術館)や水盤(ルーブル美術館)にも,精緻な金工技術をもったマニエリストとしての作風が示されている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のヤムニッツァーの言及

【ドイツ美術】より

…インスブルックの《マクシミリアン墓碑》(1550)の制作に加わったフィッシャー(子)Peter Vischer(1487‐1528)は,〈ドイツのギベルティ〉ともいわれる。16世紀後半には絵画同様A.コーリンやA.deフリースの外国人の感化が強まり,なかんずく伝統的な金細工の流れを引くW.ヤムニッツァーらのマニエリスムの様式が支配的となる。 世俗化の進んだルネサンス期には,ドイツにおいても諸侯の城館や都市の公共建築が発達した。…

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