マス・ゲーム(読み)ますげーむ(英語表記)mass game

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マス・ゲーム」の意味・わかりやすい解説

マス・ゲーム
ますげーむ
mass game

大人数集団で行う徒手体操ドイツで確立された学校体育の指導方式の一つであり、合同体操様式を発展させたもの。語源はドイツ語のマッセンツルネンMassenturnenで、多数の人間が一斉に運動を行うことによって、集団の隊形美、律動美を表現して観衆に訴えることを目的とする。

 ドイツ体操生誕の時期である19世紀初頭の体操は、教師や指導者の号令で一斉に行う体操ではなく、徒手体操も器械体操も、個人あるいは小グループ単位で自由に行われていた。その後ドイツ体操の組織化によって、体操は一般的なものから学校体育で行われるものに変化していった。これにより、それまで自由に行われていた体操の指導法が確立され、一斉に号令によって実施する方法になったため指導効率が向上し、それをマッセンツルネンとよんだ。20世紀に入って、ショー的な体操はシャウツルネンSchauturnenといって見世物的な体操になり、徒手体操のみならず器械体操なども包含され、意図された学校体操とは明らかに別のものとなっていった。訓練成果を大群衆に訴え、体操の有意性を披露することによって実施者、観衆双方に刺激を与え、その普及のために大いに効果があったので、その後、デモンストレーションとして利用されるようになった。デモンストレーションとしての集団的体操はドイツを中心にして他国にも普及していき、旧チェコスロバキア、オーストリアスイスにおいても実施され、さらに発展していって現在行われているマス・ゲームになったといわれる。

 世界的にもっとも有名なマス・ゲームは、旧チェコスロバキアのスパルタキアード(総台スポーツ大会)で行われたもので、旧ソビエト連邦、旧東ドイツなどの社会主義諸国においても大規模なものが行われていた。現在でも中国、北朝鮮に加え、崩壊後の前記旧社会主義諸国においても盛大に行われている。

 日本では年1回、各県持ち回りで開催される秋季国民体育大会の開・閉会式におけるマス・ゲーム(集団演技)が代表的で、もっとも充実しており高く評価されている。また体育祭や大集団の集合時などでもマス・ゲームは盛んに実施されている。一般にマス・ゲームは披露する対象者が観客であることを前提にしているので、華麗な表現の演出にとらわれがちだが、指導者は集団の中の個人の存在を見失うことのないように心がけなければならない。集団全体のなかに個人を調和させる能力の開発にこの運動の主眼がある。マス・ゲームにおいては、全員が主役であり、全員が背景的存在であるといえるので、まさに「一体となる」ことが、この身体活動にはもっとも重要な意味をもつ。マス・ゲームを企画する場合には、次のような内容を考慮する必要がある。

(1)マス・ゲーム(デモンストレーション)には、数が重要な因子となる。多数の人間が一つの集団として、同一目標による統一された形や統一された行動によって人に訴える場合、数の多さがデモンストレーションとしての価値を発揮することになる。

(2)美しさや迫力に欠け、観衆になんの感動も与えることができなければ、マス・ゲームとしての価値は認められない。

(3)ひとりひとりの運動が正確でしっかりしていなければ、人を感激させるような望ましいマス・ゲームにはならない。

(4)マス・ゲームが人に訴えることのできる因子はフォーメーション(形)、カラー(色彩)、ミュージック(音楽)の三つである。デモンストレーションとして数の効果をあげる場合には、同一の形、同一の色彩、同一の動きが重要である。

(5)観衆が、観客席からどのような方向や角度から鑑賞するのかということを十分考慮しなければ、いかに美しい模様を描いても、観衆にはなにを訴えているのかが伝わらない。

 2人あるいはそれ以上の身体を組み合わせたり、積み上げることによって、一つの身体の造形をして、美の共同感という醍醐味(だいごみ)に浸ることのできる「組み立て体操」もマス・ゲームの範疇(はんちゅう)にあるものとしてとらえることができる。

[三輪康廣]

『浜田靖一著『図説 学校マスゲーム 基本編』(1976・新思潮社)』『浜田靖一著『イラストと写真でみるマスゲーム』(1998・大修館書店)』『佐藤友久・森直幹編『体操辞典』(1978・道和書院)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例