ヘットナー(英語表記)Alfred Hettner

精選版 日本国語大辞典 「ヘットナー」の意味・読み・例文・類語

ヘットナー

(Alfred Hettner アルフレッド━) ドイツ地理学者地誌科学としての地理学を体系化した。大正二年(一九一三)来日。ヘットナー石発見した。主著「地理学━その歴史本質および方法について」など。(一八五九‐一九四一

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デジタル大辞泉 「ヘットナー」の意味・読み・例文・類語

ヘットナー(Alfred Hettner)

[1859~1941]ドイツの地理学者。地誌研究を地理学の中心に置くことを主唱。1913年来日の際、長野県梓川下流で条痕のある花崗岩塊(いわゆるヘットナー石)を発見して氷堆石ひょうたいせきだとしたが、現在では疑問視されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「ヘットナー」の意味・わかりやすい解説

ヘットナー
Alfred Hettner
生没年:1859-1941

ドイツの地理学者。ドレスデンに生まれる。ハレボンストラスブールなど各大学に学ぶ。1882-84年南米コロンビアを調査,以後再度の南米行(1888-90)のほか,ロシア(1897),北アフリカ(1911),アジア(1913-14)と諸地方を旅行した。アジア研究旅行の際は来日し,日本アルプスを踏査,〈ヘットナー石〉を発見(1913)している。ヘットナー石は長野県の梓川の稲核(いねこき)橋付近にあった花コウ岩塊で,ヘットナーは擦痕からモレーンであると考え(後に山崎直方が命名),日本における氷河論争の発端の一つになった。1894年ライプチヒ大学員外教授,97年チュービンゲン大学に,99年ハイデルベルク大学に移り(-1928),ヘットナー学派を開いた。地理学は地上の現実を空間的配置の観点から把握しようとする〈コロロギー的科学〉であると規定し,〈地誌〉をもって地表空間の大小の単位空間を記述するものとした。1895年《地理学雑誌》を創刊する。彼には多く旅行記や地誌および地誌学についての著作があり,《地理学--その歴史,本質および方法》(1927)は上記の雑誌とともに,久しく第2次大戦前の世界に指導的影響を与えた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘットナー」の意味・わかりやすい解説

ヘットナー
へっとなー
Alfred Hettner
(1859―1941)

ドイツの地理学者。ハイデルベルク大学教授として、地理学の歴史・方法論を研究し、近代地理学の体系化を行い、その確立に大きく貢献した。とくにブラジルやアジアを旅行し、地域の性格を地理的諸事象との関連から明らかにする地誌学こそ、地理学の中核をなすことを主張した。1913年(大正2)来日し、北アルプスの梓(あずさ)川沿岸で氷河の擦痕(さっこん)のある石を発見した。これにより日本の氷期にも低位置まで氷河があったと唱え、日本の氷河論争の端緒を開いたことは有名である。この石をとくにヘットナー石と称した。主著に『比較地誌学』4巻(1932~1935)、『地理学――その本質・方法・歴史について』(1927)、『地誌学の基本問題』(1907~1924)などがある。ユダヤ系のため、晩年はナチスの迫害を受けた。

[市川正巳]

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百科事典マイペディア 「ヘットナー」の意味・わかりやすい解説

ヘットナー

ドイツの地理学者。ライプチヒ,チュービンゲン,ハイデルベルク各大学教授を歴任。自然地理学と人文地理学を地域において統一,地誌研究を地理学の中心におくことを主張した。1913年来日,長野県南安曇郡安曇村(現・松本市)稲核(いねこき)の道端にあった花コウ岩の大塊をモレーン(堆石)と断定,山崎直方がこれをヘットナー石と命名したが,今日では疑問視される。
→関連項目シュリューター人文地理学

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘットナー」の意味・わかりやすい解説

ヘットナー
Hettner, Alfred

[生]1859.8.6. ドレスデン
[没]1941.8.31. ハイデルベルク
ドイツの地理学者。ハレ,ボン,ストラスブール各大学に学ぶ。 1899~1928年ハイデルベルク大学教授。 1882~90年に2回にわたり,南アメリカに,1913~14年アジアに研究旅行を行い,その際来日して,日本アルプスを調査し,ヘットナー石を発見した。哲学的,科学的な考え方をもとにして地理学を地誌的科学であると説明し,原理的研究を行う一般地理学に対して,地域的特性を研究する地誌学を地理学の中心課題とした。主著に『地理学,その歴史,本質,方法』 Die Geographie,ihre Geschichte,ihr Wesen und ihre Methoden (1927) がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ヘットナー」の解説

ヘットナー Hettner, Alfred

1859-1941 ドイツの地理学者。
1859年8月6日生まれ。ハイデルベルク大教授。大正2年(1913)来日し,北アルプス梓(あずさ)川で擦痕(さっこん)のある「ヘットナー石」を発見。日本にも氷河があったと主張し,わが国の氷河論争の発端となった。1941年8月31日死去。82歳。ドレスデン出身。

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367日誕生日大事典 「ヘットナー」の解説

ヘットナー

生年月日:1859年8月6日
ドイツの地理学者
1941年没

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世界大百科事典(旧版)内のヘットナーの言及

【地理学】より

… その後,地理学はますます専門分化しながら発達するが,地理学の本質と方法,ラントシャフト(景観,景域)や地域,環境など地理学の基本的概念に関する論議も盛んになった。A.ヘットナーはそうした諸説を批判的に整理して,1927年には地理学本質論の古典といわれる《地理学――その本質,方法,歴史》を著して,地理学は諸事象の空間的因果関係を中核とするコロロギーであると論証した。 それから12年後に,R.ハーツホーンは,アメリカ地理学者協会の機関誌に《地理学の本質》という大論稿を発表し,基本的にはヘットナーの見解を追認したが,59年には《地理学の本質に関する展望》によって,その論旨を補足し明解にしたのである。…

※「ヘットナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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