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ポルトガル北部,ミーニョ地方および同名県の主都。人口6万5008(1981)。3世紀末,ローマ帝国の属州ガラエキアの主都となる。聖ヤコブ伝道の地と伝えられ,イベリア半島におけるキリスト教化の重要な拠点であった。のちにはゲルマン人の一派,スエビ族が建てた王国の首都(409-585)となる。12世紀初頭より18世紀末まで大司教領で,中世には大司教管区をめぐってサンチアゴ・デ・コンポステラと対立し,トレドとも首座を争った。現在,県内の商工業,交通の要地であるが,多くの教会を擁し依然として宗教都市の伝統を守っている。
執筆者:彌永 史郎
ルーマニアの詩人,哲学者。トランシルバニアの出身で,ウィーンに留学し,哲学を学んだ。帰国後12年間外交官として勤務し,1936年にクルジュ大学の文化哲学の主任教授となった。《認識の三部作》(1922),《文化の三部作》(1944)など,多くの文化哲学の著作がある。また,生の歓喜を神話と自然の世界に託して歌う《光の詩》(1919),人間の魂の深部をえぐる《眠りの賛歌》(1929)などの詩集のほか,劇作,評論も多い。
執筆者:直野 敦
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ポルトガル北西部、ミーニョ県の県都。人口10万5000(2001)。紀元前3世紀にカルタゴ人が入植したとされ、ローマ時代にはブラカラ・アウグスタBracara Augustaの名で知られた。5世紀からスエビ人、ついで西ゴート人が、また8世紀にはイスラム教徒が支配した。12~18世紀は大司教領となり、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラと教会の優位を争った。現在も12世紀ロマネスク様式(16世紀マヌエル様式、18世紀バロック様式が加わる)の大聖堂をはじめ多くの教会が残り、宗教中心地となっている。銃器製造、宝石、肉加工、衣類縫製のほか、フェルト帽子の製造業がある。
[田辺 裕・柴田匡平]
ルーマニアの詩人、哲学者。トランシルバニアに生まれる。神学校に学んだのち、ウィーン大学で哲学博士の学位を得た。1938年にクルージュ大学の文化哲学講座の主任教授に任命された。非合理主義を基調とし、独特の民族学的神話に彩られた彼の哲学は「認識の三部作」「文化の三部作」「価値の三部作」(1943~1946)に集大成されている。また、故郷の自然美を歌い、深い哲学的思索を表現した詩作品には『光の詩』(1919)、『眠りへの賛歌』(1929)、『分水界で』(1933)などがある。ほかに劇作、翻訳もある。
[直野 敦 2015年11月17日]
《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...