フランスの大学改革(読み)フランスのだいがくかいかく

大学事典 「フランスの大学改革」の解説

フランスの大学改革
フランスのだいがくかいかく

パリソルボンヌと中央集権改革

フランス大学改革は,13世紀にパリ大学が創設され,ソルボンヌに学寮が建設されて以来,相対的に自律した大学共同体と,教会や国家による庇護介入をめぐり,中央集権改革が繰り広げられた長い歴史をもつ点に特色がある。地方でも13世紀のトゥールーズ大学モンペリエ大学をはじめ,15世紀には全国規模で大学が設立されていったが,パリへの集中は現在に至るまで続いている。

 アリストテレスの論理学を基礎とする中世スコラ学から,14世紀末~16世紀にルネサンスの人文主義者による古典文芸の復興運動が起こり,パリ大学に対する自由学問の機関として現コレージュ・ド・フランスの創設などに至った。また,カトリックが支配するフランスでは,宗教改革期にイエズス会の学校で始まった厳格な人文主義教育が,17~18世紀の絶対王政期に国家庇護で停滞した大学に対し,フランス革命期来のエリート養成機関であるグランド・ゼコールと同準備級が分岐する先駆けとなった。

 大革命後の1793年に旧体制の大学は廃止されたが,ナポレオン1世による国家管理のもとでユニヴェルシテ・アンペリアル(帝国大学)が創られ,1808年にはバカロレアが創設され,現在までに至る大学とグランド・ゼコールの二元構造が確立した。19世紀後半になると,とくに普仏戦争敗北を契機に,ドイツのフンボルト主義に基づく近代大学モデルの導入が進み,国民国家形成に向けて職業専門性を重視する研究教育の強化が図られた。1896年には総合大学設置法(フランス)が制定され,「諸学部の連合体」としての大学に法人格が与えられている。文・理・法・医・薬・神学の学部構成は維持されたが,自然科学の方法を取り入れた実証研究が発展し,心理学や社会学などの人間科学,外国文学,経済学などの学問分野も徐々に浸透していった。19世紀末からは女性と留学生の進学機会も高まっている。

 第2次世界大戦後も大学の基本制度は変わらず,1947年ランジュヴァン・ワロン改革案(フランス)で教育民主化に向けた再編構想が示され,59年ベルトワン改革(フランス)で大学の社会人材養成を強調する高等教育の使命が規定された。学生数が急増する中,パリ大学では1964年にナンテールの第二文学部,65年にオルセーの第二理学部が分離独立した。1966年フーシェ改革(フランス)で文・理学部の教育課程が,1,2年次の第一期課程,3,4年次の第二期(修士)課程,5年次以降の第三期(博士)課程に改編され,第二期のはじめの1ヵ年だけの学士課程(リサンス)も設けられた。学部内でも専門分野の学位が制度化され,学科の自律性が高まっていった。また,職業養成を重視した2年制技術短期大学部(フランス)(IUT)が1966年に創設された。

[1968年以降の展開]

学生運動が頂点に達した1968年5月の大学危機を経て高等教育基本法(フランス)(エドガール・フォール法(フランス))が成立し,学部に代わる教育研究単位(UFR)に基づく「ディシプリン統治下の大学(フランス)」へと再編が進められた。大学関係者の参加,自治管理面の自律性,教育研究におけるディシプリン複合性からなるプラグマティックな3原則が打ち出され,パリのヴァンセンヌとドフィーヌに「大学実験センター」を設立し,アメリカ合衆国の大学モデルを導入して社会に開かれた現代的研究教育を推進した。1971年度には新たに57大学が発足し,パリ大学は13の大学に分割された。

 ミッテラン社会党政権期の1984年に高等教育法(フランス)(サヴァリ法(フランス))が制定され,大学は研究教育と行財政の自律性を与えられた法人格をもつ「学術的・文化的・職業専門的性格を有する公共施設」と規定された。職業養成を重視した教育研究単位のもとで,各大学の分権化を図る政策が推進された。全国評価委員会(CNE)による大学評価が始まるとともに,1989年から4年間の契約政策(フランス)が導入され,機関としての大学ガバナンスが強化され,自治体・企業等との連携強化が進んでいった。また,1985年にバカロレア同一年齢層80%取得目標を立て,一層の高等教育拡大を図ったが,開放入学制を原則とする大学の修学環境が劣悪化し,若年失業増加に伴う就職難が深刻化していった。1986年に大学入学選抜と授業料値上げを可能にする法案(ドヴァケ法)が出されたが,68年以来といわれる反対運動により撤回された。

 1990年代以降は欧州統合に向けた改革が進むとともに,市場競争を促す新自由主義政策が浸透していった。1998年ソルボンヌ宣言と99年ボローニャ宣言を受けて,2010年のヨーロッパ高等教育圏建設を目標とするボローニャ・プロセスが開始され,2002年には欧州統一基準の三・五・八年制LMD(Licence-Master-Doctorat)課程が導入された。また,2001年に自律的財政運営を可能にする予算組織法(LOLF)が制定され,2006年から適用になり,研究・高等教育評価機構(AERES)による大学評価が始まった。同年の研究計画法により,近隣の大学,グランド・ゼコール,研究所等が参加する研究・高等教育拠点(フランス)(PRES)の制度整備が始まり,ネットワークを形成して教育を提供し,共同免状を授与することが可能になった。2007年のサルコジ大統領就任後には「大学の自由と責任に関する法律(フランス)(LRU)(ペクレス法(フランス))が成立し,2012年度にはすべての大学が自律的経営に移行した。2013年にはオランド社会党政権に移行し,市場化政策の見直しが図られているが,大学の歴史的意義をふまえた「再生」(refondation)を企てる改革論議が展開されている。
著者: 大前敦巳

参考文献: クリストフ・シャルル,ジャック・ヴェルジェ著,岡山茂,谷口清彦訳『大学の歴史』白水社,2009.

参考文献: Christine Musselin, La longue marche des universités françaises, P.U.F., 2001.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報