ピニョー・ド・ベーヌ(読み)ぴにょーどべーぬ(英語表記)Pierre Joseph Georges Pigneau de Béhaine

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピニョー・ド・ベーヌ」の意味・わかりやすい解説

ピニョー・ド・ベーヌ
ぴにょーどべーぬ
Pierre Joseph Georges Pigneau de Béhaine
(1741―1799)

フランスの宣教師。フランス北部、エーヌ県のティエラシュに生まれ、外国宣教会から東インドに派遣されて1767年からインドシナ布教に従い1770年アドラン司教となった。1783年内乱のベトナムで西山党タイソン党)と抗争していた阮福映(げんふくえい)(グエン・フク・アイン)に長子阮福景(グエン・フク・カイン。1780―1801)を託されてフランスの援助を要請され、パリに帰ってルイ16世に仏・安南攻守同盟条約を結ばせ(1787)、フランス領インドで阮氏援助の義勇軍を募ってベトナムに戻り、百多禄(バク・ダロク)の名で阮氏の幕下に加わったが、その国内統一達成の前にクイニョンで没した。条約はフランス革命のため批准されなかったが、1802年にベトナムを統一し阮朝を創立した阮福映(世祖嘉隆帝)は、その貢献を謝してフランス人を優遇し、これがのちにベトナムがフランス領植民地となる端緒となった。

川本邦衛 2018年2月16日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピニョー・ド・ベーヌ」の意味・わかりやすい解説

ピニョー・ド・ベーヌ
Pigneau de Béhaine, Pierre Joseph Georges

[生]1741. エーヌ,オリニーティエラシュ
[没]1799. ビンディン
フランスの宣教師。パリ外国宣教会に所属し,1765年よりコーチシナで布教。 69年迫害を逃れてインドのポンディシェリーに行き,教皇代理職アドラン司教に任じられた。 74年以来カンボジア,コーチシナなどで布教したが,84年タイソン (西山) 党の乱に生残った阮氏一族の阮福映に会い,彼の勢力回復に助力するため福映の子の阮福景を伴ってフランスに帰国し,ルイ 16世に謁し,87年フランス=ベトナム攻守同盟を結んだ。しかしこれは批准されなかった。 89年義勇兵を連れてコーチシナに戻り,福映を助けたが (→阮朝 ) ,99年ビンディン (平定) で没した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ピニョー・ド・ベーヌ」の解説

ピニョー・ド・ベーヌ
Pigneau de Béhaine

1741~99

ベトナム名は百多禄。フランス人宣教師。主にインドシナで布教。阮福暎(グエン・フック・アイン)阮(グエン)朝創立を援助,1787年フランス‐ベトナム攻守同盟の調印に尽力した。

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