ルイ(英語表記)Louis

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精選版 日本国語大辞典 「ルイ」の意味・読み・例文・類語

ルイ

(Louis)
[一] 九世。フランス国王(在位一二二六‐七〇)。ルイ八世の子。フィリップ二世の事業を継いで集権化を進める一方、ノルマンディー・アンジュー・メーヌ・ポァトウ地方を獲得。また、ソルボンヌ神学校(のちのパリ大学)を設立、学問・芸術の振興に努めた。第七次・第八次の十字軍に参加し、チュニスで病没。聖ルイと呼ばれる。(一二一四‐七〇
[二] 一一世。フランス国王(在位一四六一‐八三)。シャルル七世の子。百年戦争後巧妙に諸侯の力を抑え、ブルゴーニュ・メーヌ・アンジュー・プロバンスを合わせて王国を統一、郵便制度、民兵制度などを改革して中央集権的身分制国家の確立に努めた。(一四二三‐八三
[三] 一三世。フランス国王(在位一六一〇‐四三)。アンリ四世の子。リシュリューを登用して、貴族勢力の打倒、ユグノーの弾圧、国際的地位の向上を図った。特にハプスブルク家と対抗してブルボン王権の基礎を確立した。(一六〇一‐四三
[四] 一四世。フランス国王(在位一六四三‐一七一五)。ルイ一三世の子。幼少期は母后アンヌ、宰相マザランが摂政。一六六一年以後の親政期にはコルベールを登用、王権神授説を唱え、国内的には中央集権・重商主義政策を遂行、対外的にはフランドル戦争・オランダ戦争・ファルツ継承戦争・スペイン継承戦争を行ない領土の拡大を図った。文化的にはベルサイユ宮殿を中心とするフランス文化の黄金時代にあたり太陽王と呼ばれたが、度重なる戦争のために財政が窮乏、また、ナントの勅令の廃止によってユグノーの国外逃亡を招き産業上の打撃をうけて治世の晩年には絶対主義の矛盾が顕在化した。(一六三八‐一七一五
[五] 一五世。フランス国王(在位一七一五‐七四)。ルイ一四世の曾孫。ポーランド継承戦争、オーストリア継承戦争に干渉して国力を疲弊させ、さらに七年戦争に敗れてカナダ・インドの支配権を失った。ポンパドゥール夫人らを寵愛して奢侈にふけり、重税で国民を圧迫したため民心が離反し、絶対王政解体のきざしがみえ始めた。(一七一〇‐七四
[六] 一六世。フランス国王(在位一七七四‐九二)。ルイ一五世の孫。チュルゴーネッケルを登用して財政改革を図ったが失敗。一七八九年三部会を召集したが、大革命が勃発、一七九一年国外逃亡に失敗して憲法の承認を余儀なくされたが、その後も反革命の企図を捨てず、一七九二年王権を停止され、翌年一月裏切者として処刑された。(一七五四‐九三

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デジタル大辞泉 「ルイ」の意味・読み・例文・類語

ルイ(Louis)

フランス国王の名。
(9世)[1214~1270]在位1226~1270。諸侯の反乱を抑えて王権を拡大。ソルボンヌ神学校を創設。第7回・第8回十字軍に参加し、チュニスで病没。聖ルイ。聖王。
(11世)[1423~1483]在位1461~1483。シャルル7世の子。諸侯の力を抑えるとともに王領を拡大し、絶対王政の基礎を確立した。駅逓を創設。
(13世)[1601~1643]在位1610~1643。アンリ4世の子。1624年、宰相リシュリューを登用、貴族・プロテスタント勢力を抑圧し、ブルボン王朝の基礎を固めた。正義王。
(14世)[1638~1715]在位1643~1715。の子。宰相マザランの死後、親政。コルベールを登用して財政を再建し、重商主義政策を推進、しばしば対外戦争を起こして植民地を拡大する一方、文化面でも学芸の奨励、ベルサイユ宮殿の建設などを行い、ブルボン王朝の最盛期を現出した。「朕は国家なり」という言葉を残した典型的な絶対主義君主。太陽王。
(15世)[1710~1774]在位1715~1774。の曽孫。七年戦争で敗れ、インド・カナダの植民地を失い財政の窮乏を招いた。
(16世)[1754~1793]在位1774~1792。の孫。チュルゴーネッケルらを登用、財政再建に努めたが成功せず、三部会の召集を強要され、それを機にフランス革命が勃発。国外逃亡に失敗して王権を停止され、国民公会から「国民への敵対行為」の罪に問われ処刑された。
(18世)[1755~1824]在位1814~1824。の弟。フランス革命で亡命し、ナポレオン失脚後の王政復古で即位。王党派の行きすぎた反動を抑え、貴族と市民階級の対立の緩和を図った。

ルイ(Ruwi)

オマーンの首都マスカットの一地区。ビジネス街、金融街としても知られる。国立博物館、軍事博物館がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「ルイ」の意味・わかりやすい解説

ルイ
Pierre Louÿs
生没年:1870-1925

フランスの詩人,小説家。本名Pierre Félix Louis。日本ではルイスとも呼ばれる。中学時代にジッドと学友で,バレリーとも親交を結び,ルコント・ド・リールに目をかけられ,マラルメ火曜会の一員にもなった。早くから古代ギリシアの文学に親しみ,処女詩集《アスタルテ》(1893)を刊行の後,ギリシア古典風の散文詩集《ビリティスの歌Les chansons de Bilitis》(1894)を発表して好評を博した。さらに彼の文名を高めたのは,アレクサンドリア様式の韻文小説《アフロディトAphrodite》(1896)である。そのほか,異教的な逸楽,優雅な感受性,好事家的博識を特質とする彼の作品に,《女と傀儡》(1898),《ポーゾール王の冒険》(1901)などがある。
執筆者:

ルイ
Pierre Charles Alexandre Louis
生没年:1787-1872

フランスの医師。マルヌ県アイに生まれ,パリで医学を修業し,長くピティエ病院,オテル・ディユ病院に勤務,肺結核と腸チフスの病理学に専心した。1825年に1960例の患者観察記録と358例の病理解剖所見を基礎に肺結核について論じ,35年に《刺絡の効果に関する研究》を刊行して,一定の療法を受けた一群とそれを受けなかった一群とを対照させるというやり方で,その差を数字で表現しようとした。従来粗雑であった臨床医学研究に統計的方法を導入して,科学としての医学の確実性を高めることに貢献した。またE.W.vonブルッセの生理学的な方法を批判して,大論争をしたことで有名。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルイ」の意味・わかりやすい解説

ルイ
Louÿs, Pierre

[生]1870.12.10. ベルギー,ヘント
[没]1925.6.4. パリ
フランスの詩人,小説家。本名 Pierre-Félix Louis。エコール・アルザシエンヌ在学中にジッドと親交を結び,バレリー,マラルメ,エレディアらを知る。 1891年雑誌『コンク』 La Conqueを創刊。ギリシア抒情詩の形式を模倣した詩集『アスタルテ』 Astarté (1893) のあと,古代ギリシアの架空の女流詩人に仮託した散文詩『ビリチスの歌』 Les Chansons de Bilitis (94) ,古代ギリシアの遊女の生活と官能的恋愛を描いた小説『アフロディット』 Aphrodite (96) ,情熱の猛威を描いた小説『女と人形』 La Femme et le pantin (98) などを発表,該博な知識と形式や色彩に対する鋭い感覚によって,華麗な世界をつくりだした。

ルイ
Louis, Pierre Charles Alexandre

[生]1787.4.14. シャンパーニュ
[没]1872.8.22. パリ
フランスの医師,病理解剖学者,医用統計学の開拓者。青年期をロシアで過して,既存の医学が疫病に対し無力なことを痛感,さらに勉学のためパリに戻った。 1820年以後は病理学に目を向けたが,25年医学的事実を統計的に分析することにより学説の当否を反証できること,実験不可能な場合にも統計の応用によって信頼できる結論を得ることに着想し,ピティエ病院,パリ市立病院で医用統計学の確立に努めた。病理学面では結核,腸チフスについて業績を残したほか,29年には腸チフスのバラ疹を記載した。

ルイ
Louis, Dauphin de France

[生]1729. ベルサイユ
[没]1765. フォンテンブロー
フランスの皇太子。国王ルイ 15世マリ・レシチンスカの間に生れた。政権から疎外され,信仰団体を主宰した。ルイ 16世,ルイ 18世,シャルル 10世の父にあたる。

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百科事典マイペディア 「ルイ」の意味・わかりやすい解説

ルイ

フランスの詩人。ベルギー生れ。本名Pierre Felix Louis。日本ではルイスとも。ジッドバレリーの友人で,マラルメに心酔し,彼の〈火曜会〉の一員にもなった。ギリシア風の耽美(たんび)にあこがれ,博識と技巧を肉感的・幻想的作品の中に生かした。代表作は《ビリティスの歌》(1894年),フランス散文中最も美しい文章に数えられる《アフロディト》(1896年)など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルイ」の意味・わかりやすい解説

ルイ
るい

ルイス

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世界大百科事典(旧版)内のルイの言及

【瀉血】より

…方法としては,陰圧を利用したり,ヒルなどの吸血動物が用いられた。19世紀になって,フランスの医師P.C.A.ルイが多くの病気に対し,瀉血が治療効果をもたないことを証明し,瀉血についての批判を行った。このような批判にもかかわらず,その後も赤血球数が著しく増加しすぎて血流障害の起こる多血症,著しい肺鬱血(うつけつ)や肺水腫などで静脈過流量を減らす必要のある場合などに瀉血が行われ,静脈から数十ml以上が採血され,また近年,輸血による副作用を予防する目的で,手術中に用いる血液を事前に採血(瀉血)して貯えておくことが広く行われている。…

【ドビュッシー】より

…かたわら,熱狂していたR.ワーグナーへの批判がめざめた。また,ムソルグスキーの《ボリス・ゴドゥノフ》とガムラン音楽から啓示を受け,マラルメ,ピエール・ルイら象徴派詩人と交わる。こうした体験が,彼の美学と作風の発酵を促した。…

※「ルイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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