ピウス[9世](読み)ピウス

百科事典マイペディア 「ピウス[9世]」の意味・わかりやすい解説

ピウス[9世]【ピウス】

ローマ教皇(在位1846年―1878年)。初め自由主義的でイタリア統一運動支持,のち翻身したため1848年イタリア軍に教皇庁を追われた。1870年イタリア王国が成立するとこれと対立し,自らバチカン宮に幽囚の身となった。第1バチカン公会議の召集者,マリアの無原罪懐胎と教皇不可謬性の教義採択でも知られる。

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世界大百科事典(旧版)内のピウス[9世]の言及

【カトリック運動】より

…運動成立の歴史的背景となったのは,フランス革命以降の教会諸特権の廃止と政教分離の進行,また,それに対応する教会機構の変容,すなわち各地の司教権力の衰退と教皇への中央集権化の動きである。しかし,より直接的な契機となったのは,1848年における教皇ピウス9世のイタリア独立戦争からの脱落とその後の急速な反動化だった。彼は64年《謬説表Sillabus》により合理主義や自由主義を排撃し,70年の第1バチカン公会議では教皇不可謬性を教義化さえした。…

【教皇】より

…公会議後の諸教皇には人間的欠点が見られるとしても,教会の最高牧者にふさわしくない教皇は一人もいない。ピウス5世PiusV(1566‐72),グレゴリウス13世(1572‐85),シクストゥス5世SixtusV(1585‐90)はカトリック刷新に献身し,パウルス5世(1605‐21),グレゴリウス15世(1621‐23)はこれを続行した。ウェストファリア条約締結からフランス革命にかけての時代に西欧の世俗化が進展し,教皇職の地位はカトリック諸国においても衰えた。…

【バチカン公会議】より

…ローマのサン・ピエトロ大聖堂で19世紀後半に開催された史上第20回目の公会議と,20世紀後半に開催された第21回公会議との二つがある。(1)第1バチカン公会議(1869‐70) 1864年12月に近代諸思想糾弾のシラブスSyllabus(誤謬表)を公表する直前ごろから,ピウス9世みずから〈近代諸思想の害毒に効果的治療手段を提供するため〉秘密裏に準備し,65年3月準備委員会を設置,67年6月公表,68年6月召集した公会議。69年2月イエズス会の《チビルタ・カットリカCiviltà Cattolica》誌に,自由主義カトリック者でないフランスの正統カトリック者たちは,公会議が長い論議を避けて短期間に終結し,教皇の不可謬性(無謬性)がただ教皇からの宣言によって信仰個条に採択されることを望んでいるとの記事が載ると,この安易な考え方に対する西欧各国の進歩的司教・神学者たちの批判が高まり,教皇が果たして不可謬か否かの議論が沸騰した。…

※「ピウス[9世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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