パーマネントウェーブ(英語表記)permanent wave

翻訳|permanent wave

改訂新版 世界大百科事典 「パーマネントウェーブ」の意味・わかりやすい解説

パーマネント・ウェーブ
permanent wave

熱または化学薬品の作用で,毛髪の組織に変化を与え,髪にウェーブをかける方法。名称は長期間(3~4ヵ月)にわたってウェーブを保つところから名づけられたもので,略してパーマ,パーマネントとも呼ばれる。毛髪をカールさせる方法は,1872年パリの結髪師マルセル・グラトーの作り出した焼きごてによるマルセル・ウェーブが,上流婦人や女優たちに広まっていた。これに対し電熱を利用したウェーブ法は1905年,ドイツ生れの結髪師ネスラーKarl Nesslerにより,ロンドンで発表された。彼は名前をフランス風に改め,オックスフォード街に世界で最初の〈ネスレパーマネント・ウェーブ〉という看板を出した。第1次世界大戦が始まるとともにアメリカに渡り,断髪ボブ)にウェーブをかけることを流行させ,24年ころにはアメリカ,イギリスの女性の間で大流行したといわれる。この初期のパーマはホウ(硼)砂を基剤に使い,アイロンで加温するもので,時間もかかり高額であった。

 日本に紹介されたのは,1923年神戸で外国人対象の美容院を経営していた紺谷寿美子がパーマ機を買い入れたことに始まるといわれ,30年代の初めには一般に普及した。35年ころから国産品も作られるようになり,しだいにアイロン応用の〈洋髪〉に代わって流行するようになった。40年には東京でパーマを業とする店が約850軒に及ぶ普及ぶりであった。日中戦争から太平洋戦争にかけては敵性語禁止のため〈電髪〉と呼ばれるようになり,追放・自粛運動が行われ,機械も多く供出された。当時アメリカではコールド・パーマネント・ウェーブcold permanent waveの時代に入っており,終戦とともに進駐軍家族によって紹介され,48年ころには国産の薬液が製品化されて,美容・理容業界に大きく広がっていった。

 コールド・パーマはイギリスの化学者J.スピークマンが1936年に羊毛の分子構造の研究から,頭髪のケラチン細胞の側鎖を切るコールド・ウェーブの原理を完成したことに始まるといわれる。化学結合の開裂を伴う〈変性〉を巧みに利用したもので,ロッドに巻いた毛髪に還元剤(チオグリコール酸塩が主剤)の第1液と酸化剤(ブロム酸ナトリウムなどが主剤)の第2液を作用させる二浴式を主流とする。40年代のアメリカでは,家庭で行えるホーム・ウェーブ(パーマ)用の薬品用具も売り出されている。パーマの発明以降,女性の髪形は活動的で変化のあるものとなり,パーマの技術もさまざまに,くふうと革新が行われてきた。83年には,逆にウェーブを消し直毛を作り出す目的でストレート・パーマと呼ぶ技法が登場したが,毛髪保護や髪形への応用などでは未解決の点が多い。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報