パリス父子(読み)パリスふし

改訂新版 世界大百科事典 「パリス父子」の意味・わかりやすい解説

パリス父子 (パリスふし)

フランスの学者父子。父ポーランPaulin Paris(1800-81)は中世文学者。マルヌ県アブネに公証人の子として生まれ,パリで法律を学んだが,文学好きでバイロン全集の翻訳を試み,《ロマン派の擁護》(1824)を著した。生活上の必要から王立図書館の司書となり(1826),中世フランス語の古写本を読んで習熟し,《大足のベルト》《ロレーヌガラン》《アンティオキア物語》などを刊行,中世フランス語写本の7巻の解説目録で高い評価を受けた。1837年F.レーヌアールの後を継いで金石碑文アカデミー会員となり,52年コレージュ・ド・フランスの中世フランス文学初代教授となった。

 息子ガストンGaston P.(1839-1903)は父と同じくアブネに生まれる。17歳のときロマンス諸語比較文法の創始者F.ディーツのもとに送られ,ボン大学とベルリン大学で文献学を学び,パリに戻ってエコール・デ・シャルトで古文書学,歴史学を身につけた。《シャルマーニュ大王伝承史》で文学博士(1865),《後見人論》で法学博士となる。1866年C.モレル,H.ゾータンベール,P.メイエルと学術書評雑誌《ルビュ・クリティーク》を創刊,実証主義的文献学の普及に努めた。68年エコール・プラティーク・デ・オートゼチュードが開かれると同校教授となり中世文学研究を刷新,72年雑誌《ロマニア》を創刊,72年に弟子パニエと共著で刊行した《聖アレクシス伝》で,ドイツのラハマン考案による校訂法をフランスにもたらした。イギリスの初期英語テキスト協会(EETS)にならってフランス中世文学刊行会(SATF)を創設し,72年には父の後を継いでコレージュ・ド・フランス教授となった。96年にはアカデミー・フランセーズ会員に選ばれている。高潔で寛容な人柄から学者の模範とされ,K.ニロップ,J.ベディエ,ジリエロン,A.ダルメステテール,A.トーマ,M.ロックら多くの弟子を育てている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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