パウサニアス(英語表記)Pausanias

精選版 日本国語大辞典 「パウサニアス」の意味・読み・例文・類語

パウサニアス

(Pausanias) 二世紀の古代ギリシア旅行家著作家パレスチナエジプトイタリア・ギリシアを踏査。著「ギリシア案内記」。生没年不詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「パウサニアス」の意味・わかりやすい解説

パウサニアス
Pausanias
生没年:115ころ-?

ローマ帝政期のギリシアの地誌学者。170-180年ころ10巻の著作《ギリシア案内記》を完成した。本書アッティカ,メガラ,コリントスアルゴリスラコニアメッセニアアカイア,アルカディア,ボイオティア,フォキスデルフォイなどギリシア本土の各地の都市,聖域,名所,神殿などを歴訪する旅人のための案内書の形をとり,各地の史跡にまつわる伝承史実,神話などを織りまぜながら,過ぎにしギリシアの栄光を物語る。自然の風景について語るところは皆無に近いが,神殿や公共の建築物や記念碑の類,また絵画,彫刻,その他の工芸美術品について詳記しているところが多く,古代ギリシア・ローマの芸術史の手引としても貴重な資料となっている。また,ギリシアの諸地方に口碑として伝わる珍しい神話伝説も多く記録されており,その意味での価値もきわめて高い。
執筆者:

パウサニアス
Pausanias
生没年:?-前470ころ

スパルタ将軍レオニダスの甥。前479年ギリシア連合軍を率いてプラタイアイの戦でペルシア軍を破った。翌年ギリシア艦隊を率いてキュプロスやビュザンティオンを奪還した。ところがここで彼はペルシア風の生活様式をまね,尊大にふるまって,ギリシア連合内のアテナイ勢とペロポネソス勢の溝を深めた。さらにペルシアとの内通を疑われ,2度にわたって本国に召還された。密告でヘイロータイの反乱を企てたことが発覚し,クセルクセス宛の手紙が内通の証拠とされると,彼はアテナ神殿に逃れたが餓死させられた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パウサニアス」の意味・わかりやすい解説

パウサニアス
Pausanias

[生]?
[没]前470頃
古代ギリシア,スパルタの摂政。スパルタ王クレオンブロトス1世の子。ペルシア戦争中の前 480年テルモピュレで戦死したレオニダスの息子の摂政となった。前 479年スパルタとアテネを主とするギリシア連合軍を指揮し,プラタイアイでアケメネス朝のペルシア軍に大勝。翌年連合艦隊を率いてビザンチオンを占領したが,その尊大な態度とペルシア風の生活様式を取入れたために,忠誠を疑われ,同盟諸市のスパルタに対する信頼も低下した。ペルシア王との結びつきを疑われ,2度もスパルタへ召還されたが放免された。しかしヘロットの反乱に加担したと疑われ,エフォロスらに捕えられることを恐れ,神殿に逃げ込み餓死した。

パウサニアス
Pausanias

2世紀後半のギリシアの旅行家。リュディア出身。全 10巻の『ギリシア案内記』 Periēgēsis tēs Helladosの著者。これは地理のほか,歴史,宗教,神話,美術,建築なども扱っており,ありし日のギリシアの町々や神域を彷彿させる旅行案内書として価値が高い。

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百科事典マイペディア 「パウサニアス」の意味・わかりやすい解説

パウサニアス

2世紀後半のギリシアの地誌学者。各地を旅行し,アッティカとメガラ,コリントスとアルゴリス,ラコニア,メッセニア,エリス,アカイア,アルカディア,ボイオティア,フォキスなど10巻に及ぶ《ギリシア案内記》を書いた。盛時のギリシアを知る資料として重要。
→関連項目紀行文学

パウサニアス

スパルタの将軍。前479年ギリシア連合軍を率いプラタイアイの戦でペルシア軍を破ったが,のちペルシアのクセルクセス王と内通していると疑われた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「パウサニアス」の解説

パウサニアス
Pausanias

?〜前470ごろ
スパルタの将軍。レオニダス王の甥
前479年プラタイアの戦いでアケメネス朝(ペルシア)軍を破り,翌年ビザンティウムも奪回したが,ペルシアへの内通の嫌疑を受け,2度スパルタに召還された。

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世界大百科事典(旧版)内のパウサニアスの言及

【スパルタ】より


[古典期]
 ペルシア戦争において,スパルタはコリントス地峡防衛に力を入れて,アテナイに名を成さしめたが,プラタイアイの戦でギリシア連合の盟主の威を示した。しかしペルシア追撃を指揮したパウサニアスの尊大な態度とエーゲ海域諸市への対応のつたなさのゆえに,エーゲ海域の諸市はアテナイに心を寄せた。スパルタは前460年代には大地震に端を発したヘイロータイの大反乱に難渋し,また前450年代にはアテナイと戦火を交えた。…

【占い】より

…プルタルコスによれば,アレクサンドロス大王は遠征に〈夢解き〉の神官を帯同したとされているし,夢見のための〈籠(こも)りincubation〉は想像以上に広い範囲で行われていたようである。それは古代医学とも密接に関係していたようであり,たとえば,パウサニアスは,《ギリシア記》の中でアスクレピオス神殿における病気治療について次のように記している。病人は種々の儀礼的な手続を経た後に,水を浴びせられ,身体を擦(こす)られ,香を焚(た)かれ,一種の恍惚状態のうちに,犠牲に捧げられた獣(牡ヤギなど)の毛皮の上に眠りこんで,夢を見る。…

【ギリシア文学】より

…プルタルコスの著述においては,古代人の生の内面から輝きいでる力強い資質が語られているゆえに,時代が移ろっても古代の人々の面影を彷彿させる。過ぎにしギリシア文学の伝統を追慕する心情は,やはり帝政期の地誌家パウサニアスの《ギリシア旅行記》にもあり,フィロストラトスの《絵画論》《彫刻論》などからもくみ取ることができる。他方,アルキロコスやアリストファネスらの活発な風刺の精神もなお衰えず,この時期の文学に異彩を加えている。…

【ニオベ】より

…一度にすべての子どもを失ったニオベは泣きつづけるうちに石と化し,それを風が彼女の故郷のシピュロス山上に運んだが,なおも涙を流しつづけたという。リュディアの生れで,みずからシピュロス山に登ったことのあるパウサニアス(2世紀)は,伝説の〈ニオベ石〉は近くで見ればただの岩だが,遠見には,頭をたれて涙にくれる女の姿に見える,とその著書《ギリシア案内記》に書き残している。【水谷 智洋】。…

【ネストル】より

…饒舌家で,その話はとかく若い時分の武勇談に傾くきらいはあるものの,だれからも尊敬される老人として,ホメロスの叙事詩に描かれている。歴史時代のペロポネソス半島西部には,ピュロスの名をもつ地が3ヵ所あり,パウサニアス(2世紀)の《ギリシア案内記》はメッセニア地方のピュロス(現在のピロス,別名ナバリノより少し北)をネストルの居城地と記しているが,1939年,アメリカの考古学者ブレーゲンC.Blegenが現ピロスの北方約20kmにあるエパノ・エングリアノスの丘に広大なミュケナイ時代の宮殿址を発見し,いまではここがネストルのピュロスと想定されている。【水谷 智洋】。…

【ネメシス】より

…彼女の最も有名な神殿はアッティカ地方のラムヌスにあり,名匠フェイディアス(前5世紀)作の神像が奉置されていた。この神像は,鹿と勝利の女神ニケのついた冠をいただき,左手にはリンゴの枝,右手にはエチオピア人の姿を刻んだ杯を持っていた,とパウサニアス(2世紀)の《ギリシア案内記》が伝えている。【水谷 智洋】。…

※「パウサニアス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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