日本大百科全書(ニッポニカ) 「バルナ(ブルガリア)」の意味・わかりやすい解説
バルナ(ブルガリア)
ばるな
Varna
ブルガリア北東部、黒海沿岸の港湾・工業都市。バルナ県の県都。人口32万0668(2001)。
[寺島憲治]
地誌
1949年から57年まではスターリンStalinとよばれた。造船、機械、繊維、食品工業が盛んである。海運の中心地で、幹線鉄道ソフィア―バルナ線の終点。国際空港を備え、黒海の保養地の拠点である。市内には、ローマ時代の大浴場などの遺跡があり、劇場、歴史博物館、民俗博物館、大学も設置されている。バルナ湖の北岸にはバルナ遺跡がある。
[寺島憲治]
歴史
紀元前6世紀の古代ギリシアの植民市オデッソスOdēssosにさかのぼる。7世紀からバルナというスラブ語名でよばれる。8世紀末に第一次ブルガリア帝国の版図に入り、一時、ビザンティン帝国領になったが、13世紀初頭にふたたびブルガリア領となり、ベネチアやジェノバの商船が来航して繁栄した。1444年に、オスマン軍はこの地でキリスト教徒連合軍を破り、バルナは最終的にオスマン帝国の支配下に入ったが、引き続き黒海貿易の拠点として栄えた。1828~29年のロシア・トルコ戦争で、バルナはロシア軍に3か月包囲されてオスマン帝国の敗北に終わり、この地のキリスト教徒住民の一部はベッサラビアと南ロシアに移住した。クリミア戦争(1853~56年)時には、ロシア軍と戦うフランス、イギリスの部隊の基地が置かれ、バルナはヨーロッパ列強の角逐にさらされた。1878年、ブルガリアがオスマン帝国から独立を果たすと、トルコ系住民が流出し一時的に人口が減少したが、1880年にはオスマン帝国領の東トラキア、84年にはバルカン山脈のコテル地方からブルガリア人が移住し、第一次世界大戦後には敗戦で失われたマケドニアから難民が移住した。社会主義時代には工業化と観光事業が推進されて人口は急速に増大し、ソフィア、プロブディフに次ぐブルガリア第三の都市に発展した。
[寺島憲治]