ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニコルソン」の意味・わかりやすい解説
ニコルソン
Nicholson, Jack
アメリカ合衆国の映画俳優。本名 John Joseph Nicholson。社会からつまはじきにされた破天荒なアウトサイダーを演じることに定評がある。父親に見捨てられ,祖母を母,母を姉と信じて育った。高校卒業後はメトロ=ゴールドウィン=メイヤー MGMのアニメーション部門で事務職として働き,1957~58年に舞台やテレビに端役として出演。その頃 B級映画の名匠ロジャー・コーマンにより "The Cry Baby Killer"(1958)の主役に抜擢された。『イージー・ライダー』Easy Rider(1969)でアルコール依存症の弁護士を好演し,アカデミー賞にノミネート。さらに『ファイブ・イージー・ピーセス』Five Easy Pieces(1970)では主演を務めてオスカー候補となり,スターの地位を確立した。『さらば冬のかもめ』The Last Detail(1973),『チャイナタウン』Chinatown(1974)でのノミネートを経て,『カッコーの巣の上で』One Flew over the Cuckoo's Nest(1975)でついにアカデミー賞主演男優賞に輝いた。『愛と追憶の日々』Terms of Endearment(1983)ではアカデミー賞助演男優賞を受賞。『ア・フュー・グッドメン』A Few Good Men(1992)で 10回目のアカデミー賞候補となり,男優として史上最多ノミネートを記録。その記録を 11回に塗り替えた『恋愛小説家』As Good As It Gets(1997)で再びアカデミー賞主演男優賞を受賞した。
ニコルソン
Nicholson, William
[没]1815.5.21. ロンドン
イギリスの化学者,水の電気分解の発明者。東インド会社に入り (1769) ,インドに行き,帰国後 (76) ,アムステルダムの陶器会社に勤務。その後ロンドンに戻り,数学学校の教師,特許局局員などを経る。 1783年コーヒー・ハウス協会に入会,書記として活躍するとともに,フランスの著名な化学書の翻訳に努めた。 90年液体比重計を発明,1800年イタリアの A.ボルタの蓄電池の発明を聞いて自分でもそれを製作。次いで電池から取出した鉛片を水中に入れると水素と酸素に分解することを発見,初めて電気による化学反応を起させた。 1797年定期科学雑誌『自然哲学,化学および技術の雑誌』 Journal of Natural Philosophy,Chemistry and the Artsを創刊。主著『自然科学入門』 Introduction to Natural Philosophy (81) 。
ニコルソン
Nicholson, Ben
[没]1982.2.6. ロンドン
イギリスの抽象画家。ビクトリア朝風の木版画で知られる画家 W.ニコルソン卿の子。ロンドンのスレード美術学校に学んだのち,フランスのツール,イタリアのミラノ,アメリカのパサディナで学ぶ。 1918年に渦巻派,20年にキュビスム,のちにはモンドリアンの新造形主義に影響を受ける。 24年頃から抽象画を描き,30年には繊細なデッサンと白と灰色の微妙な効果を用いて幾何学的なフォルムを薄浮彫にする独自の画風を創造。「ユニット・ワン」などのグループに参加し,イギリスの抽象絵画の発展に指導的な役割を果した。 33~34年パリの「アブストラクシオン・クレアシオン」のグループに参加。
ニコルソン
Nicolson, Sir Harold George
[没]1968.5.1. ケント
イギリスの批評家。外交官,ジャーナリスト,下院議員として活動するかたわら,『テニソン』 Tennyson (1923) ,『スウィンバーン』 Swinburne (26) などの文学評論,『ジョージ5世伝』 King George V: His Life and Reign (52) などの伝記を書く。『日記と手紙』 Diaries and Letters,1930-62 (3巻,66~68) は第2次世界大戦を背景に政治や外交の興味深い消息を伝えるもの。
ニコルソン
Nicholson, Norman
[没]1987.5.30
イギリスの詩人,劇作家。ハイネマン賞受賞の『五つの河』 Five Rivers (1944) ほか数巻の詩集と『山の老人』 The Old Man of the Mountains (1946) などの詩劇で知られる。また評論や地誌もある。
ニコルソン
Nicolson, Arthur, 1st Baron of Carnock
[没]1928.11.5. ロンドン
イギリスの外交官。マドリード (1904~06) ,ペテルブルグ (06~10) に大使として駐在。その間 1906年アルヘシラス会議に活躍。 07年イギリス,フランス,ロシアの三国協商を成立させた。
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