ホッパー

デジタル大辞泉 「ホッパー」の意味・読み・例文・類語

ホッパー(Dennis Hopper)

[1936~2010]米国の俳優・映画監督。ジェームズ=ディーン主演の「理由なき反抗」で、俳優として映画デビュー。監督・脚本・主演をつとめた「イージーライダー」は、ニューシネマの代表的な作品とされる。他の出演作に「ブルーベルベット」など。デニス=ホッパー。

ホッパー(hopper)

セメント・砂利・土などを一時貯蔵する漏斗状の装置。下部にはき出し口がある。

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精選版 日本国語大辞典 「ホッパー」の意味・読み・例文・類語

ホッパー

〘名〙 (hopper)
① じょうご。また、じょうご状のもの。
※氾濫(1956‐58)〈伊藤整〉一三「ホッパーのかげになっていたビーカー
② 上部にじょうご型の入口、下方にはき出し口をもつ貯蔵槽。一時貯えて順次送り出したり、他に移動させたりするのに使う。

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百科事典マイペディア 「ホッパー」の意味・わかりやすい解説

ホッパー

米国の俳優,映画監督。カンザス州生れ。10代から映画に出演し,《理由なき反抗》(1955年)や《ジャイアンツ》(1956年)でジェームズディーンの弟分として注目されるが,トラブルによりハリウッドを追われ,ニューヨークでアンディ・ウォーホルらと交わる。この時期写真家としても活動した。その後自ら監督・出演した《イージー・ライダー》(1969年)で〈アメリカン・ニュー・シネマ〉の旗手として復活。続いて映画撮影をテーマとした《ラストムービー》(1971年)を監督するが,興行的に惨敗。アルコールとドラッグの中毒となり,ヴィム・ベンダース監督《アメリカの友人》(1977年)やフランシスコッポラ監督《地獄の黙示録》(1979年)などに出演したものの,ハリウッドからは再び追放状態となる。デヴィッド・リンチ監督《ブルー・ベルベット》(1986年)で怪演を披露して脚光を浴びた後は,個性派の俳優,〈B級映画〉の精神を受け継ぐ監督として活発に活動。監督作品に《カラーズ 天使の消えた街》(1988年),《逃げる天使》(1994年)などがある。
→関連項目ニコルソン

ホッパー

米国の画家。ニューヨーク州生れ。R.ヘンライに学び,都市の日常リアリズムで描く〈アッシュ・キャン・スクールAsh Can School(ちり箱派)〉の作風に独自の感覚を加味して,1920年代―1930年代の〈アメリカン・シーン・ペインティングAmerican Scene Painting〉の中で特異な存在となった。主題はおもに彼が住んだニューヨークやニューイングランドの日常的な光景からとられているが,そこには孤独と憂愁に満ちた時代精神がとらえられている。

ホッパー

上部の広い受口から入れ,下部の狭い出口から放下する漏斗(ろうと)状の容器。石炭,砂利,セメント,穀類等を貯蔵し,輸送・使用時に適宜取り出す。
→関連項目農業用飛行機

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホッパー」の意味・わかりやすい解説

ホッパー
Hopper, Dennis

[生]1936.5.17. カンザス,ドッジシティー
[没]2010.5.29. カリフォルニア,ロサンゼルス
アメリカ合衆国の俳優,映画監督,脚本家。フルネーム Dennis Lee Hopper。初監督作品『イージー・ライダー』Easy Rider(1969)で主役の若者ビリーを演じ,反体制文化の象徴的な存在となった(→アメリカン・ニュー・シネマ)。またこの作品の共同脚本家としてアカデミー賞脚本賞にノミネートされた。映画俳優としてのデビュー作『理由なき反抗』Rebel Without a Cause(1955)では不良高校生を演じた。撮影中にかんしゃくを起こす激しい気性でありながら大作『ジャイアンツ』Giant(1956)などに次々と起用されたが,1958年にはワーナー・ブラザースに契約を打ち切られ,ニューヨークのアクターズ・スタジオに学んだ。薬物乱用と奇行癖が災いして 10年ほど大手映画会社の仕事を得られなかった。依存症から立ち直って 1980年代半ばに再び映画界で活躍を始め,『勝利への旅立ち』Hoosiers(1986)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。ほかに,『スピード』Speed(1994),『エレジー』Elegy(2008)など。写真家・画家としても知られ,2001年にオランダのアムステルダム市立近代美術館で回顧展が開催された。

ホッパー
Hopper, Edward

[生]1882.7.22. ニューヨーク,ナイヤック
[没]1967.5.15. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の画家。ニューヨーク美術学校でロバート・ヘンリーに学び,1906年パリに遊学。1915年以後エッチングとイラストレーションに転向したが,1930年頃から再び水彩画と油彩画を描いた。写実主義的態度を貫き,市街や建物などを好んで描き,夜のレストラン,ひとけのない街路,無人の劇場などを主題とした孤独な雰囲気の作品が多い。主要作品『日曜日の早朝』(1930,ホイットニー美術館),『夜ふかしする人々』(1942,シカゴ美術館),『朝7時』(1948)。

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改訂新版 世界大百科事典 「ホッパー」の意味・わかりやすい解説

ホッパー
Edward Hopper
生没年:1882-1967

アメリカン・シーン・ペインティングのなかで特異な位置を占める画家。ニューヨーク州ナイアック生れ。ニューヨークでR.ヘンライに学ぶ。版画ののち油彩に転じ,ニューイングランドの風景やニューヨークの市街と人々を描いた。モダニズムとは関係なく一貫して写実様式を守り,心理的な陰翳をとらえた作品を描きつづけた。1920-30年代の精神状況を孤独と憂愁の詩情に託して的確にとらえている。
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世界大百科事典(旧版)内のホッパーの言及

【貯鉱】より

…スタッカーはヤードに到着した鉱石類をベッドの長手方向に何回も振りまくように積み重ねていくのに対し,リクレーマーはこのベッドを端から切り崩していくので,払い出された鉱石の品質は一つのベッドを形成するのに要した時間にわたって均一化されることになる。 容器によって貯鉱を行う場合,その容器は貯鉱舎,鉱舎,(貯鉱)ビンbin,バンカーbunker,ホッパーhopperなどと呼ばれる。貯鉱舎はコンクリート,鋼板などで作られ,全体の形状は円筒形または角筒形が一般的である。…

【アメリカン・シーン・ペインティング】より

…さまざまの傾向をふくむが,大きく分けるとキュビスムの影響をうけた半抽象的な系列と写実的な系列の二つがある。前者の舞台になったのは主としてニューヨークで,ブルックリン橋や高層建築をモティーフとして,近代文明を謳歌するステラJoseph Stella,シーラーCharles Sheeler,大都市のバイタリティを抽出したデービスがおり,後者には都会の底辺の日常の光景をとらえたマーシュReginald Marsh,孤独と疎外を描いたホッパー,ソーシャル・リアリズムsocial realismの立場を貫いたシャーンがいる。また,中西部の広大な農村風景を描きつづけたベントン,ウッドGrant Wood(1892‐1942),カリーJohn Steuart Curry(1897‐1946)などの提唱したリージョナリズムRegionalism(地方主義)も写実的な系列を代表する。…

【ホイットニー美術館】より

…66年,現在の建物(M.L.ブロイヤー設計)に移転した。5000点にのぼるコレクションは絵画,版画,彫刻,立体造形の各分野を網羅し,このほかホッパーの作品を2000点収蔵。【桑原 住雄】。…

※「ホッパー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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