ドイツ独立社会民主党
ドイツどくりつしゃかいみんしゅとう
Unabhängige Sozialdemokratische Partei Deutschlands; USPD
ドイツ社会民主党 SPDが分裂してできたドイツの左翼政党。ドイツ社会民主党は第2インターナショナルにおいて反戦闘争を指導したが,1914年8月に第1次世界大戦が勃発してから戦争予算案に賛成し,政府の政策に協力した。これに対して H.ハーゼや K.カウツキーらのグループが反対し,17年4月に開かれたゴータ会議において独立社会民主党として離脱した。党の中心は以前のマルキスト中央派であったが,ほかに左派のスパルタクス団,右翼修正派の E.ベルンシュタインなども含んでいた。戦争協力続行を主張する多数派は,多数派社会民主党ともいわれた。 18年 11月にはドイツの敗戦によって社会民主党とともに連立政権を構成したが,政治路線をめぐる対立から,同年 12月には連立から離れた。しかし,K.アイスナー暗殺事件以後の革命情勢のなかで党内左翼が勢力を伸ばした。この頃,党員は 75万人に達したといわれるが,同時に党内右派との対立が強まり,20年 10月 12日のハレ臨時大会において第3インターナショナル加盟をめぐって分裂し,左派はドイツ共産党に加盟し,残留したグループはやがて 22年多数派社会民主党と合同した。
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「ドイツ独立社会民主党」の意味・わかりやすい解説
ドイツ独立社会民主党【ドイツどくりつしゃかいみんしゅとう】
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世界大百科事典(旧版)内のドイツ独立社会民主党の言及
【ドイツ革命】より
…しかし,ルール重工業界やユンカーなど第二帝制の支配層を中心に領土拡大の動きが高まる一方,戦争の長期化のもとで食糧不足とインフレが進むと,労働者の間に〈城内平和〉への不満がしだいに高まり,各地でストライキや婦人を中心とした食糧騒動が起きるようになった。社会民主党内に開戦当初から存在した〈帝国主義戦争〉反対派もしだいに勢力を強め,戦争支持派による抑圧と排除に抗して,17年4月,ついにドイツ独立社会民主党を結成した。同党は,[ハーゼ],[カウツキー]ら平和主義的な党指導部から,ローザ・[ルクセンブルク],カール・[リープクネヒト]を中心とする反戦革命派のスパルタクス派まで,さまざまな流れから構成されていた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」