ティン・ウ(英語表記)Tin Oo

現代外国人名録2016 「ティン・ウ」の解説

ティン・ウ
Tin Oo

職業・肩書
政治家,軍人ミャンマー国民民主連盟(NLD)議長,元ミャンマー国家平和発展評議会(SPDC)第2書記

国籍
ミャンマー

生年月日
1927年3月12日

出生地
ビルマ・バセイン(ミャンマー)

経歴
1946年独立前のビルマ軍に入隊。独立後、幹部候補生学校司令官、歩兵旅団司令官などを経て’74年少将となる。同年3月ビルマ国防次官兼参謀次長から国防相兼参謀総長に昇格、ネ・ウィンの右腕と目される。’76年3月権力闘争で失脚汚職を理由に解任。若手将校によるネ・ウィン元議長暗殺未遂事件(3月)に関与したとして服役、’80年出獄。’85年陸軍参謀長に就任。’88年8月29日ウ・ヌー元首相らとともに政界長老、退役軍人の在野組織“民主平和連盟”を結成するが、9月11日離脱。同年12月ミャンマー最大野党の国民民主連盟(NLD)議長に就任。また国家法秩序回復評議会(SLORC,のちの国家平和発展評議会=SPDC)の第2書記となる。軍政ナンバー4の地位にあり、ナンバー2のマウン・エイ副議長に忠誠を誓う保守派と位置づけられていたが、’89年7月国家破壊分子法違反容疑で軍事政権により自宅軟禁され、同年12月国家の独立と治安を乱したとして懲役3年の刑を受け服役。’90年中将に昇進。’91年4月服役中のまま議長解任。’95年3月釈放され、同年10月NLD副議長に選出されるが、政府は却下。’97年4月日本から自宅に送られてきた小包爆弾が爆発、長女が死亡する。のちNLD副議長としてアウン・サン・スー・チー書記長らとともに活動。2000年9月軍施設に拘束、2001年1月自宅軟禁、8月アウン・シュエNLD議長とともに自宅軟禁措置解除。2003年5月暴力事件を理由にスー・チー書記長とともに拘束されカレー刑務所に収監、2004年2月より再び自宅に軟禁される。2010年2月6年9ケ月ぶりに軟禁解除。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報