日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ダーラム(1st Earl of Durham, John George Lambton)
だーらむ
1st Earl of Durham, John George Lambton
(1792―1840)
イギリスの政治家。初代ダーラム伯。1813年、ダーラム県選出ホイッグ党(後の自由党)下院議員となり、穀物法案に反対し、議会改革の動議を提出するなど、そのラディカルな主張で注目された。1828年男爵となり上院議員となる。1830年岳父グレーの率いる内閣の国璽尚書(こくじしょうしょ)となり、選挙法改正法案作成にあたった。上院の強い反対に直面して、法案成立のためには国王が貴族叙任権を発動し、上院に賛成派の新貴族創設をすべきだとの立場をとった。同法成立後、1833年に辞職、伯爵の爵位を受けた。駐ロシア大使を経て1838年北アメリカ総督となる。1837年、フランス系住民を含むカナダに統治の民主化を求めて反乱が起こったが、乱後の難局にあたり、反乱指導者を厳罰に処すなどの高圧政策で臨み、本国政府に反対されて半年で辞職した。1839年植民省に提出した『ダーラム報告』は、上下カナダへの自治付与を提案したもので、その後の自治領政策の基礎をなす重要文書となり、彼の名を後世に残すことになったが、内容は腹心ブラーCharles Buller(1806―1848)の作であった。
[石井摩耶子]
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