出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
アメリカの女性ジャーナリスト。ネブラスカ州の牧師の娘として生まれ,シカゴ大学卒業後フレンド派教会の奉仕団の一員として訪ソ。そのままソ連にとどまり,1930-36年,英文《モスクワ・デーリー・ニューズ》紙副編集長を務める。まさに自伝の題名どおり〈生きる世界を選びなおした〉のである。《私は世界を変える》(1935)の〈世界を変える〉とは,そういう意味である。むしろソ連の辺境地区に関心を示し,27年の国共分裂に際してはコミンテルンの顧問M.ボロジンとともに内陸路で脱出,《ボロジン脱出記》は戦前,日本にも紹介された。46年に延安を訪問,毛沢東から〈帝国主義は張り子の虎〉論を聞き出したことは名高い。中ソ対立の余波をうけて49年ソ連からスパイ容疑で追放され帰米。55年名誉回復。58年中国へ渡り,62年から《中国からの手紙》を発行しつづけ,北京で死去した。1946-47年の解放区の実情を知らせた《中国人は中国を征服する》(1950)や人民共和国の農村を描いた《人民公社は拡がり深まる》(1959)は日本でも訳され,新中国の建設を紹介する役割を果たした。
執筆者:春名 徹
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アメリカのジャーナリスト。ネブラスカ州で宗教家の家庭に生まれる。1908年シカゴ大学で哲学博士号を得る。1921年フレンド派教会から当時のソ連に派遣され、奉仕活動に携わったのち、INS、NANAなどの通信社のモスクワ特派員を歴任。1930年にはソ連初の英字紙『モスクワ・デーリー・ニューズ』を創刊、1936年まで編集者として活躍し、ソ連共産党員と結婚した。この間、中国、スペイン、メキシコなどを訪れ、当時の内戦、革命、戦争を報道した。1949年スパイ容疑でソ連当局に逮捕され、アメリカへ送還されたこともあるが、1953年ソ連当局は嫌疑を取り消した。1958年中国に赴き、死去するまで北京(ペキン)に在住し、もっぱら中国紹介にあたった。著書に自伝『私は世界を変える』(1935)、『人民公社は拡(ひろ)がり深まる』(1959)、『中国からの手紙』(1963)などがある。
[鈴木ケイ]
『西園寺公一訳『人民公社は拡がり深まる』(岩波新書)』
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